ae.ao

オーケー、ボーイズ&ガールズ

 

足を組んだ形のセクシーな大根がニュースに取り上げられたりして、それをそれたらしめる2つの要因が予知能力のある私を私たらしめる、同じ構造だと思った。

伝達ミスはそれによって意図的に引き起こされているのかもしれない。もしくは伝達に欠陥を持つものにそれが与えられるのかもしれない。

私は垣間見えるすべての未来に私がいないことを気に病んでいる。どこかでうっかり死んでしまうのだろうか。与えられた役割に優劣はないとしてもまるで平等じゃないように思える。

あなたは福島県の小さい駅に降り立って踏切の反対側で青いポロシャツの男を見つける。それだけのために生み出された。けれどそこに至るまでに4度の失恋と1度の骨折、大学院を出て今の会社に勤める必要がある。その後だってとても美しい人生だ。

でも君はもう少し苦しい思いを長いことやって、幾人かに賞賛される。これはすごいものですと認められる。そのために生まれた。それが出来たら他はなにをやってもいい。反対に好きなようにやってもそれをやることになる。そういう仕組みにできている。

失敗の方は難しい。役割は意図的に失敗することと本人によって挫折せざるを得ないこともある。役割は悲しいことに、その多くは代替可能だ。でも君は、今回の君で成し遂げる。何年かはわからないけど月は知ってる。

 

足を組んだ大根を観測する人間にセクシーという概念がなければそれは成立しない。大根はただ生えただけ。別の意味が付与されただけの同じ性質のもの。観測してる人が与えた新しい認識。

私は私に努めて成った。このふるまいがふさわしい。なにに?

慣れたから大丈夫なんだけど、考えることが追いつかないと気持ち悪くならない?言葉も出てこないから怒られちゃう。

 

3/2

 

本当に話したいことなんてもうないのかもしれないと思う。みんなそうなのかもしれない。自分が本当に話したいことがあるような気がして、それが何かわからないから他愛のないことを話しまくって、なんだか足りないような気がして、また別の友だちを捕まえて、また他愛のない話を繰り返しているのかもしれない。

 

去年の夏に僕は灰原くんと出会う。絵が上手くて、髪が長くて、目がとても悪い男の子だ。さらに猫背で痩せている。3つで99円のふやけたうどんに醤油をかけて食っていると言う。魅力的だ。ナイロンの大きめなアウターを着ている女の子たち全員が彼を気にいると思った。灰原くんはそれだけじゃない。灰原くんはヴェイパーウェーブを好む。さらに僕が好きなマイナーなインディーズゲームも好きだった。もっと素晴らしいことに、僕以外誰も観ていないんじゃないかと思っていたアニメや変な漫画も彼は全部知っていて、気に入っていた。僕たちは絵を描きながら時々話した。難しい作業の時はお互いの好きな曲を流して合って黙っていた。彼の選曲はいつも良かった。音楽の趣味がとても合った。ある日話の途中で灰原くんはひどい頭痛になった。今日はもうおしゃべりはよそう。横になって休んだほうがいい。またね。それ以降僕たちは一度も話していない。多分もう一生話すことはないだろう。こんなに趣味の合う人にはこの先出会わないだろうと思う。それなのに僕たちは、本当のことをひとつも話さずに一夏をやり過ごしてしまった。

本当のこと?

灰原くんはいつか大きな犬を飼いたいを言っていた。それは嘘じゃないと思う。大きな犬を飼って、大きな犬と川を眺めてのんびり過ごしたい。それがもし嘘でも、そんな嘘をつく必要がないけど、この世界の何にも干渉しない。無意味で無力な嘘だ。だけどそれが本当でも、僕は灰原くんの何を知ることができるって言うの?

ヨコハマ買い出し紀行良いですよ、読んでくださいよ。アニメもいいんですよ。VHSしか持ってないんですけど…

男の子ですからねそりゃ僕も…機会があったらエッチなことはしたいですね。でも絵を描いてたほうが楽しいですよ多分。女の子って時々難しいじゃないですか。

友だちはいますよ。いなそうでしょ。でもいるんですよ。みんな割と趣味合うんですよ。こんな穏やかには喋れませんけどね。関西人なので。え?そうなんですね。そういうコミュニティが分かりやすくあればいいんですけどね…

僕の何を、一体、そんな気に入ってるんですか?

 

僕が灰原くんについてこうして話すことができるのは、灰原くんがすでに僕の過去になっているからだ。僕はもう死んだ人たちの話や歌が好きだ。変わりようがないから。明日になって、あれはやっぱり勘違いだった、全部嘘でした、なんてひどい茶番になりようがないから。もしどこかで灰原くんと邂逅を果たすことがあれば、僕はまた新しい友だちとして彼を迎え入れようと思う。とにかく僕と良く気の合う男の子と暑くない夏の話はもう紙に刷られて綺麗に閉じられている。

 

閉じた本を再び開くのには、目的が必要だ。大掃除の際なんかに、たまたま手に取った本を読み耽ってしまう時にも、何かを思い出したいだとか、よく分からなかったことが分かりたいとか、そういう目的がどこかにはあるはずだ。懐かしく思いたいとか。

そういえばカニの漫画、あれほんと嫌だったなぁ

僕が考えていたのは、僕にとっての対話がこの閉じた本を再び開くまで行われないという問題だ。僕は、今灰原くんのことを思い出していて彼についてよく分かったことがある。僕たちはとても気が合った。おしゃべりの熱量も時間も言葉選びも。だからこんなふうに気の抜けたさよならを許容する。すれ違いざまに肩をぶつけて、優しく謝っただけだ。僕は薬局に歯磨き粉を買いにくい途中で、灰原くんは修理に出した自転車を取りに行く途中だった。どちらも暑さに参って日陰を選んで歩いていたから、ぶつかったというだけ。

じゃあ、僕はこの先、こんなふうに気の合う人と出会ったらまた気の抜けたさようならをして、気の抜けた葬式があって、気の抜けた火葬場で灰になって、誰も彼もから忘れ去られるんだ。どんなに熱心に頼りない言葉をたぐって胸の内を伝えたって…

逆にね、生きてる間の伝達が、それを「生きている」と呼ぶにふさわしい程の比重で人間の活動になっているとしたら、僕の性質はそれからとても離れた場所にある。いや、待てよ。僕は伝達に対して非常に熱心だ。熱心過ぎる。欺きたくないがために厳密に言葉を考えて選ぶものだから、結果的に言語による伝達が困難になっているのかもしれない。

でも今そうまでして伝えたいことがないような気がする。推敲したはずの伝えたかった事柄はなぜか出涸らしになっている。出涸らしを眺める。これが?僕が君に伝えたかったことなのか?

多分そうなんだ。

 

 

 

2/20

 

あれが桜の木、日本人は桜好きでしょ?

空港を出てすぐ、スモモみたいな色の小さな花をたくさんつけた木を指差してヴァネッサはそう言ったけど、どう見ても桜じゃなかった。私の知ってる桜はもっと薄くて淡い色の、形のきれいな花をつける木だった。高校のランチがまずくて、リンゴばかり食べていた。ヴァネッサは「君はリンゴが好きなんだね」と言ったがこれも私の知っているリンゴじゃなかった。こんなに小さくて軽くてスナック菓子みたいなものがリンゴ?

綺麗に刈られた芝に毎朝スプリンクラーで水が撒かれた。私たちは彼女の父親の都合で朝7時には高校に着いてしまっていた。やることがなくて中庭を歩いていると、スニーカーが湿った。

帰りの車内で、何本ものヤシの木を見送った。ラブホテルの壁紙みたいにわざとらしいネイビーと、ピンクと、オレンジの空だった。

家もそうだった。ドールハウスみたいだった。壁を叩くと軽やかに響く。内壁と外壁の間に猫が住んでいた。ここは暑くも寒くもないからきっと問題ないんだろう。隣の家のベランダには虹色のパラソルが立ててあって、大きな窓から螺旋階段が見えた。思いつきで、紙粘土で作ったような家々だった。

 

時々、あの頃の、あの大掛かりな嘘のような世界を思い出す。

その度に頭の中でペーパームーンが鳴る。

愛があればいいのか?

そりゃそうかもしれない。愛があればハリボテの町でも、生きてる心地がするかもしれない。

 

2/17

 

地下牢の鍵穴から長いこと、向こうの景色を眺めている。そうしていると世界は鍵穴の形で、その外側は鉛で埋め尽くされているように思える。僕がここから覗くから、世界は美しいのかもしれない。

全身鏡に不発の肉塊を映して不快になる。こんなものを引き摺り回して、どこに行くにも、ずりずり、どこかを痛ませながら、原始的な方法でずっと、人に会い挨拶を交わす。どうぞよろしく、仲良くしてね。

 

僕はたくさんの優れたラブソングを知っている。優れたラブソングというのは、代替先の方がより真実に近く、無駄を余白に、野暮を洗い直して、旋律を心理描写に、丹念に形成された、もしくは全くの純真から意図なく溢れ出た、ある一瞬の模造品だ。

僕たちは無邪気に何度も、知らない間にそれをやる。宇宙のシンガーが僕たちを見つけたら優れたラブソングでミルキーウェイギャラクシーがいっぱいになってしまうかもしれない。だけどこの星では、その一瞬の模造品を作り上げられる人間はとても少ない。何も考えなくて出来たことを再現するには、大変にストイックな時間とカロリーと考えることが必要。宇宙人には簡単でも、人間には少々難しい。

 

鍵は言葉で作られるようだ。不完全な形でも開けることは叶う。

僕を嫌いになってもいいよ。誰も救えないし、何もできないし、それに老いていく。

このささやかな挫折の積み重ねが絶望になって、絶望の中では無力感だけが育っている。身体の中いっぱいに満ち満ちて、いつ皮膚を突き破ろうか…

 

トイカメラで撮ったいくつかの現像写真をあらかたなくしてしまった。悪戯で撮っただけだったんだ。こんなに何もかも失くしてしまうなら、もっと大事に取っておくんだった。だって思わないじゃない。こんなになくなっちゃうなんて。毎日大事にしてたのよ?おかしいな。明け方部屋で君と話した話、雪の中泣いてる君と繋いでた右手、スローモーションのステージ…

僕が浴衣を着て君のアパートの近所の神社を通り抜けた時、知った夏の匂いがして世界の美しさに立ち止まる。iPodで何か音楽を聴こうとするけれど、この瞬間に最適な音楽はまだ世界になかった。

 

先生は熱心だった。僕が再び話せるように訓練をした。出来の悪い犬に芸を仕込むように我慢強く、うまくいけばご褒美におやつもくれた。夢ならどうですか?辻褄が合わなくても平気だし、大体曖昧ですから間違ってるなんてことはないですよ。なにせ夢なんですから。

 

西向きのカーブミラーが粉々に割れていた。弾けた小石がぶつかったのかもしれない。急いだ鳥の嘴が突き刺さったのかもしれない。

4時過ぎに僕は見た、輝く反転の堀、草、山、電波塔。

世界はここから覗くから美しいのかもしれない?

僕の目が神経が脳みそが良い働きをしているのかもしれない。鍵を開けて外へ出ても、僕の目が捉える世界の範囲には限りがある。他が鉛だとして、それが一体なに?

世界はもともと美しいというのは嘘だ。僕の培った美しさの観点がそれに由来してるだけかもしれない。美しさを感じるためには人間が必要だから。

鍵がないのは言葉がないから、不発の肉塊などという。

 

12/3

 

駅前の、廃墟になって久しい、かつてデパートだった建物の西口に、段ボールと新聞紙が1人の人間の生活の形に落ち着いている。

僕もこんな素敵な廃墟の一角に住みたい。

黄色のハイヒールに黒いベレー帽の女が、ライムのコロンとくるみボタンのコートが、ラルフローレンのカーディガンとポマードが、自分達の価値を確認するために、もしくは誇示するために何度も訪れた場所だった。

もちろん野良犬は入れない。

入ることが出来るのは、人間だけだ。

 

止まったままのエスカレーターを登る。どの階にも何も無い。蛍光灯さえ取り外されている。暗くて寒い。喉の奥だけが熱い。腿の筋肉が震える。

最上階は催事場だ。仕切りもなくマネキンもいない。太い柱だけが無骨に残されている。彼らがいなければこの建物は潰れてしまうので、仕方なく残されている。最も必要だから存在しているのに、誰にも認識されず、認識されても疎まれる。ああここに柱がなかったならもっと奥行きのある陳列ができるのに。この柱のせいで床のタイルを切断しなきゃならない。せっかくギャッベを吊るしたのに入り口から見えないじゃないか。ミュシャのポスターでも貼りましょうか?よせ、気にしてるのがバレる。

 

今ここにあるのは空の鉢植えと壊れたスピーカーだけのようだ。買い手がなかったんだろう。いらなくなったものの中にいらなくなったものがある。ここを必要としているのは西口の彼だけになった。どうかな、彼もここに含まれてるのかもしれない。今のところ僕も。

 

トゥーランドット誰も寝てはならぬが頭の中に流れる。小さくハミングする。こんな静寂には本来緊張があるはずなのに。ここはあまりにも、諦めと慣れた終わりが染み込み過ぎて、僕たちは自由になってしまう。大声で歌ったっていい。踊ってもいい。咎めるものはない。だけど本当の充足は水槽の大きさで既に決まってるものなんだ。ハミングより大きな声で歌う必要なんてない。ここがムーラン・ルージュなら踵を頭の上まで蹴り上げて踊るよ。でもここは死んだデパートだ。僕がそう決めたんじゃない。事実そうなだけ。

 

僕たち。僕と、西口の彼と、柱の裏の誰か。声をかけてもいい。かけなくてもいい。答えなくてもいい。静かに編み物をするには丁度いい場所だ。風もないから千ピースのパズルをやるにもいい。

靴紐が解けてると彼女が言う。女の子だ。僕はお礼を言って靴紐を結び直す。どういうわけか彼女からはこちらが見えているらしい。もしかして小さい鏡を持っているのかもしれない。女の子は何度もリップを塗り直さないといけないから。

 

ここから出るためにはまたあの長い、止まったエスカレーターを今度は降りなければならない。億劫だ。喧騒が恋しくなるまでここに居ようかな。でももしこの先ずっと喧騒が恋しくならなかったら?

ここには30階建のオフィスビルが出来るよ、あなたは嫌でも出てかなきゃならない

そんな勝手な

 

結局長いエスカレーターを一段ずつ降る。何もないショーケースと何もない部屋を何度も通り過ぎる。

西口の彼がワンカップを煽るのを見る。

そこ住みやすそうですね

「馬鹿にしてんのか?お前。さっさとどっか行け」

 

ここが綺麗な30階建のオフィスビルになったら、この死んだデパートはどこにいくんだろう。そもそも黄色のハイヒールもライムのコロンもラルフローレンのカーディガンもどこへ行ったんだろう。西口の彼と彼女はどこへ行くつもりなんだろう。

僕は?どっかっていうのは、どこ?タヒチ

とにかく、靴紐も結び直したし、歩くしかない。どこかで飯も食べたいし。野良猫、野良猫が居そうな方へ行こうかな。スナメリも見たいし、海へ行ってもいい。

11/1

 

昨日の夜、初めてニューシネマパラダイスを観た。

僕は映画はあまり詳しくない。僕の友だちと比べたらね。みんないつもお酒を飲むと映画の話ばかりする。その時の顔、本当は好きなんだけど、誰にも伝えたことはない。僕は少ししかわからないから、ただ笑って聞いてるだけ。

男の子ってずっとそう。なんのモーターが一番とか、どのキラキラのカードが強いとか、最強の必殺技は何かとか、いつも騒いでる。

 

詳しくないけど、好きな映画はある。でもあんまり話さない。友だちはきっと好きになってくれないし、つまらないと言われたら、気にしないけど、やっぱりちょっと悲しい。

 

何かを作ることは生まれてこのかたずっと好きだ。毛細血管の先まで血の通った作品を観たり読んだり聴いたりすることもずっと好きだ。

たった一文の言い回しに強く胸を打たれることもある。たったワンカットで身体が震えるほど嬉しくなることもある。たった一コマでジャンプすることも。そういうときいつも思う。それを作った人たちの人生のあらゆる時間を祝福したい!僕は分かった、あなたの心が!ほんとうにどうもありがとう…

 

僕が自分で立方体の描き方を発見した話をしたことがあったかな。あの日の夜、夢中で色んな立方体を描いていたんだけど、描いている途中でハッとした。ただの四角を描いた段階で、これは真上から見た直方体の一面ってことだって気付いた。どのくらい長い直方体か分からない。真上から見てるから、終わりが見えないんだ。僕は今、肉屋のチラシの裏に永遠を描くことに成功した。

感動した。珍しく、母より早く父が帰宅した。冬の前の冷たい雨の夜だった。

父には説明するつもりがなかった。素敵な人だけど、叱るときも褒める時も言葉が少ない。

母が帰ってきてすぐに飛びついた。この発見をただちに伝えて、褒めてもらわなければと思った。僕が騒ぐので姉もやってきた。

僕はこれまでの短い人生で覚えたコミュニケーションの技術を全て使ってそれを説明した。かなり鼻息が荒かったと思う。だけど、残念ながら分かってもらえなかった。分かってもらえなかったの。なんにも。急に熱が引いた。よれたチラシに描かれた四角は、よれたチラシに描かれた四角だった。なんだ?こんなんで必死に、さっきまで、一体何をそんなに騒ぐことがあったんだっけ。次の日には永遠の描き方などすっかりどうでもよくなった。あれが永遠の訳がなかったとさえ思って、恥ずかしかった。

 

関係ない話だけど、「言葉はいつも心に足りない」って台詞を聞いてから、何かが伝わりきらないとき一度持ち帰って、メロディとか、より多い言葉と物語や比喩、色、形、なんでもいいからどうにか補足して、また持っていくことがよくある。そのころにはもう、相手はそんな話どうだってよくなってる。僕だってもう新鮮な気持ちじゃない。それでもやってる。出来上がったゴミは頭の中の祭壇に飾ってある。それが僕の一番マシなコミュニケーションで、それはほとんど無意味で、おおむねこれが僕の、これまでの人生でした。

 

そのたった一度の出来事で、僕は自分にとって素晴らしいことは、自分だけが分かっていれば良いと思うようになった。できたら分かってほしいよ、そりゃ。でも、あんなふうに失ってしまうなら、勘違いでも秘密にしておいた方がいい。他にリュックに詰めたいものもないし。

セルリアンブルーのアクリル絵の具、家主のいないカタツムリの殻、ひとつとびの黒鍵だけで作るメロディ、ジム・ジャームッシュミランダ・ジュライSF小説シャンソン・ダダのベッドルームサウンズ、誰にも見せないでずっとリュックに入れてきた。素晴らしいものはすかさず、リュックへ。しまったら紐は固く。リュックの周りに美しい花が咲き出して、みずみずしい芝生に虹が宿るようだった。

僕が素敵なので、取り入ろうとする人たちが時々いる。そういう人たちは、この美しい芝生を平気で踏みつけてきた。勝手にリュックをのぞいて、あーこれ俺も好きだわ〜などと抜かしたので全員殺した。その足元の花の美しさがわからないなら、それは嘘だ。

でも、僕の友だちはみんな、そんなことしない。みんなそれぞれ神聖な庭を持っていて、土足で踏み込むようなことはしない。

「通りからチラッと見えたんだけど、君はもしかしてカート・ヴォネガットが好き?違っていたらごめん」と、帽子を脱いで挨拶してくれる。

いつも開いている庭もあれば、内緒で見せてくれる庭もある。お祈りの言葉を間違えないように、覗かせてもらう。自慢だけれど、僕の友だちの庭はみんなそれぞれ、とても趣味が良くて美しい。奥の方に、モーターやキラキラのカードがあったりする子もいる。素敵だなって思う。

 

ニューシネマパラダイスを観た。みんなそうだったと思うけど、なんて言ったらいいかわからない気持ちが体の中でジャックの豆の木みたいに育った。観終わった瞬間に突然育った。一晩かけて育ち続けたので、仙台港あたりまで幹になった。恥ずかしいから泣くつもりがなかったが、なぜか声を上げて泣いてしまった。キモすぎ。

僕たちにはきっと分かるよ、僕たちにはあなたの作ったものの全部がいつかきっとわかるよ、僕たちを分かってくれてありがとう…をリュックに詰め込もうとしたが、これは流石に入りきらなかったのでここに記しておく。

 

関係ない話だけど、誰とも分かり合えない絶望と誰かと分かり合えるかもしれない希望が君たちに歌を歌わせている事実に、突然胸を絞め殺される夜がある。飛行機に乗っていたころのサン=テグジュペリの心を丸ごと理解しそうになって、あわてて自分の傲慢さを汚ねえパジャマで覆い、安いチョコレートやカップ麺で顔を浮腫ませ、くだらない身体を自覚させてやらなければならない。酒を飲まない理由はたくさんあるが、鏡に移る自分が美しく見えるのが一番悪い。僕が美しいのではない。素晴らしい創作物たちが僕を美しくさせている。リュックを背負っている僕も、庭の一部だ。あなたが素晴らしいと僕は思ってる。安心して飛んでほしい。