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天網恢恢

12/26

 

僕は言葉を覚えるのが遅かったけれど、6つの頃ピアノの椅子から転げ落ちて、頭を打ってから堰を切ったようにお喋りになった。

僕の喋りたいことは正しく機能する言葉で、順番に並べることができたし、うまく伝わらないときは上手なたとえ話をすることも出来た。

2012年、スカイツリーが完成した頃には、僕はすっかりお喋りが苦手になっていて、君や友だちが昔の僕のように話してみせるのを、神妙な顔をして、時々嬉しそうに笑いながら聞いたりするだけになった。今も、その頃より相槌のレパートリーが増えただけで、本当のところ何も変わっていない。

僕に向かって色んな人が色んな言葉で、王様の耳はロバの耳だと語ってくれたけど、僕は結局ただの穴で、そのせいでいつも双方にとってくだらない、曖昧で非生産的な時間だけが流れる生活の中に浮いている。誰かは僕を便所の壁みたいに、誰かは機密文書の羊皮紙のように、あるいは僕の向こうの誰かにだけわかる暗号を、僕に伝え、思い出したように去っていく。そんな日がずっと続いている。

 

時々、酔いに任せて話してみるけど、あの日と同じように薄い氷がピシッと音を立てて、悲しくなる。たかが、お喋りなのに、今の僕には何もかも難しすぎる。

 

ああいうのが反吐がでるほど嫌い、馬鹿どもが偽物のを神と呼ぶのも僕の好きなものを愚弄するのも、そもそも末端冷え性みたいな創作物を褒めるのもナンセンスなギャグもユーモアの分からない山手線みたいな男も箸の持ち方が汚い女も、みんな大嫌いだ。本当は、僕にも嫌いなものがたくさんある。それ以上に、嫌いなものが作る価値が嫌いだ。

嫌いなものなんかほっといてもどんどん増えてくし、痛い傷なんか生きてるだけで出来てくし、ユーモアが無ければ携帯小説と同じくらいインスタントで陳腐なテーマだ。それに大体、過ぎた話だ。自慢するにはつまらなくてジョークにするには痛々しい。それは死に際まで描かれるストーリーには必要だけど、僕たちが素直に笑い合う為に語るべきストーリーじゃない。

 

だけど僕もここを穴のようにして話し続けてきたわけだし、君は事実傷だらけだし、慈しんでもらえる、無条件で許されるはずの人間で、僕にとってももう傷ついて欲しくない人たちだ。

だがら僕は喋るべきじゃない時が多いし、ウンデッド・ヒーラー的なものでもない、ただの穴に甘んじて、よくないことにそれを被害者ヅラして見てる自分がいる。

 

12/17

 

上司がポケベルの話をしてくれた。閉塞的で親密なコミュニケーションツールだった。彼女たちだけが分かる暗号で、熱心に少しの言葉を伝え合う。すごく素敵だ。

 

まがいなりにも音楽をやって、色んな人に会った。家のないフォークシンガーとか薬中のパンクロッカーとかアイヌの末裔とか。CDの中でしか会えなかった人、完全無欠のギターヒーロー、おセンチな男の子たち、おしゃまで無垢な女の子たち。僕は僕の若い時間を使って、もうこんな素晴らしい夜二度と来ない、今死ねたら!って思ったり、最低最悪の気分で背負った楽器をゴミ捨て場に放り投げたりしてこんな恥晒し、無能、死んじまえばいいんだと思いながら浮腫んだ顔を枕に埋めたり、まるではちゃめちゃな生活を送ってきた。

もちろん金がなくて、いつも僕のことを餓死させようと企む封筒がポストへ投函され、仕方なく支払いを済ませたらもう食い終わったチキンの骨をしゃぶる始末。そんなことはしたことないけど。とにかく知らない番号からの電話やおかしな色の封筒は僕の余命宣告のように感じられた。だけど、そんなことはどうでもいいくらいに毎日真剣に怠惰を貪り、忸怩と後悔に苛まれ、懺悔し、晴れたら何もかも忘れて君と臭いバーへ行って冗談を言い合い、はしゃいで、またドン底へ帰ってなんとか這い上がろうとしていた。

あの非生産的な3年間、僕はこれまで好きだったもののほとんどを失くしてしまった。本当に好きなのか疑いだしたら、何も残らなかった。

私という一人称さえ失くしてしまった。常に頭に濃い霧がかかり、血管の中をヘドロが流れている気分だった。ただ最高の一瞬だけは実にクリアで、血はマグマのように煮えたぎって、何もかもがすっかりどうでもよくなり、まるで自分の全てが正しい気分だった。

実際、僕の全ては正しく、君の全ても正しい。

 

僕は最近、身体の軋みに聞こえないフリが出来なくなってきた。アタマは冴えても、左腕が痺れ続けたり、一日中目眩がしたり、腰が痛くて動けなかったりする。無理をさせ過ぎた。身体さんには、ずっと、無理をさせてきてしまった。ごめんな。辛かったろ。君のおかげでかけがえのない青春が過ごせた。

12/12

 

雪が降ったので、色々なことを思い出した。

僕の生まれた町はとても寒くて雪の多い場所だった。僕が生まれた日も大雪で、助産師の車が病院へ向かう道中動かなくなり、その間母は僕を腹の中に押し留めるのにかなり骨を折ったと聞いた。

あの子と最後、屋上へ行ったのもこんな雪の日の真夜中だった。あの子が泣くので、帰りは手を繋いで帰った。高校生の僕らは、今にも明日への希望に押し潰されそうで、泣いたり笑ったり本当忙しかった。僕は泣いたりしなかったけれど。

初めて煙草を吸った日も、雪が降った。

先輩が真冬の深夜に花見に行くと馬鹿げたことを言って聞かないので、仕方なく付いて行った。案の定桜の名所と名高い公園も、一面雪景色だった。暇を持て余して僕が木に登って見せると、先輩は寒いのによくやるなぁと僕を馬鹿にしたように笑うので、だから花なんか咲いてるわけないじゃないですかこの寒さで、と怒った。

 

僕がおかしくなった日もべちゃべちゃした雪が八つ当たりのように降っていて、ただ霜焼けた手と頰に触れる冷たいアスファルトだけが強く記憶に残っている。

 

あの子が泣いたのは、独占欲のせいだった。だけどそんなのずるい。欲張りだ。僕の手綱を握っていたいなら、両手で、だ。僕はそのくらい君が大好きだった。思えばあの時僕は何も間違えていない。多分彼女も。君がずっとそばにいてくれたなら、僕はこんな人間にならなかったかもしれない。だけど僕は今の僕が一番マシだと思う。今の僕ならもう君を傷つけたりしない。それにあいつを死なせたりしなかった。

 

後悔しても仕方ないなんていう奴は無責任が過ぎるよな。誰も罰を受けないならお前も理不尽な苦しみに耐える覚悟があるんだろうな。僕はそんな頭の回らないお前でさえ、悲しむのが嫌だ。誰もがあの子に似ている。どんなに勝手で馬鹿で下劣で卑怯でも、みんな健気で夢中で儚い。僕も同じように醜いが、それでもまだ優しくなりたい。

3/7

 

ウェルベックの言ってることは今まで確かに再三言われていたことで、今や誰もが苦悩を知らずに真実を知ることが出来る。その真実に価値はないと思うんだけど、とにかく耳慣れた真実にすれ違う元気のいい柴犬を眺めるような気持ちになる。

だけどいざそれについて、自分の言葉で語ろうとすると手も足も出ない。結局なんにもわかっちゃいないんだ。暮石も卒塔婆も、モニュメントとして存在を認めていただけで、誰にとってどんな意味か、何もわからない。

 

3/17

 

大学にいた頃は知りたいことなんかひとつもなくて、知ってることだけでどうしてか偉ぶっていたと思う。映画を見て本を読んで、それで友だちとあの俳優はどう、脚本がどう、この作家はすごい、あそこのスパゲティはうまい、そんなことばかり話してる。進んで調べるのも作家の生い立ちとか、映画の撮られた時代背景とかせいぜいそんなもので、時々月の出た夜に我々はどこから来てどこへいくのかを5分間程度、考える。不安になって枕をきつく抱く。

 

悪いことをたくさんしてきた。良いこともいくつかしたかもしれない。私はみんなのことがとても好きだ。してやれることはひとつもない。私は傲慢のために誰かから離れるようなことはしない。彼らについては何も知らない。彼らも彼ら自身ついては少ししか知らない。私は私を知らない。

大学を出てやっと知りたいことを知ったけど、それは高校や大学で勉強できた事だったかもしれない。知りたいことが分かっただけでも、過去のことを責めるべきでないと思う。

これまで食べてきたものは思い出せない。身体は確かにあり、重くて肩こりがひどい。身体は確かにある。

あとは頭の中の問題だ。何を食べてきた人が誰とどんな風に抱き合って産まれた人が、長いこと、戦争と侵略と創造と破壊と憤怒、恋や生きる為にしてきたこと、街の名前、哲学者の奴隷、決意、信じた神様、崇めた山々こだわりの建築物、飲み込まれた社会というそれぞれのルールとシステムのこと、残っている情報から我々が知り得るのは一握りだ。

 

3/6 惨めな日のこと

 

言い慣れた言葉が出てこない。正確には、あらゆるタイミングで白々しく響く予感が結末まで教えてくれていたので口にするのが憚られる。馬鹿じゃないそれくらいわかる。だけど伝えるべきことはそれ以外になかったと思う。彼が同じように、その状況を防ぐために買って来た安い、悪いウィスキーをマグカップで飲んで、とうとう言ったが結果は予想通りだった。

喉が焼けるようでカラカラに乾いているのに、惨めな言葉は牢獄から出られて上機嫌だった。まるで長い理不尽な生活に慣れ過ぎたせいで自分の罪をすっかり忘れた囚人みたい。これらは、行為によって、また相手の善意によってポジティブな非言語として受け取られて来た気持ちの、無様な成れの果てだった。仕方なくなって、続けてウィスキーを飲むしかやることが無い。

語るべきタイミングとしては必然的で最悪なシチュエーションだったせいで、飛び出る言葉の惨めさと言ったらなかった。口から無邪気に飛び出た後、まるで野に放たれた猿のように滑稽に戸惑って、緑の草の中にポツンと浮いちゃって、かわいそう。言葉なんて、こんなものじゃないか…必要な時にはいつも冷静でなく、初歩的な文節で躓き、短い旅の果てにすっかり違った形になる。補うための態度がなければ健全に機能しない。

とにかく自分勝手に喋り尽くした後酒が弱いので気分が悪くなった。身体中浮腫ませたまま落ち着かない眠りがあった。

目が覚めたら何もかも変わっていないだろうか、なんども口にしたが初めての言葉に全てが変わってくれていたらいいのに。

翌朝は曇りだった。白々しくよそよそしいいつも通りの一日だった。

予想できている、それもきっとその通りになるだろう予想が出来ているのに、惨めになることばかり繰り返す。どこを歩いても突き当たる問題の数々は、必ず一番惨めな方法が正しさを持っている。クールに行こうとしても無駄だってわかってるのに。一度もうまくいった試しがないんだ。結局、あの成れの果ての無様な言葉と同じようにしか自分が生きられない。

2/27

 

足の悪い老人が、昼過ぎに太ったビーグル犬を散歩させている。

子供の描いたようなデタラメな絵がプリントされた安いナイロンのアウターを着た少女が、120フィルムのプラスチック製カメラを構えて冴えない音のシャッターを切った。キッチュ・キッズはここ最近若者の間で巻き起こった自虐的なキッチュ・ムーヴメントに属する彼らの呼び名だ。下品な配色、安価でナンセンスなファッションほどもてはやされ、ローテクで傷だらけの電子機器を持つことがステータスとされている。彼らのおかげで倒産寸前の公衆電話の製作所の社員全員が、車を買い替えることができたほどだ。

キッチュ・ムーヴメントはファッションに限らず音楽にも影響を与えた。この新しいムーヴメントのBGMとして「レモンジャム」がいる。

ヒット曲は「I'm sue」。ボーカルのスミレが「アイム スー」「ライク スーシー」と拡声器で繰り返し、下手なドラムの上で鍵盤ハーモニカとリコーダーが同じリフを鳴らし続ける曲で、唯一ベースだけが落ち着いた一定のリズムを刻んでいる。「スーシー」が人名なのか避妊薬なのか麻雀の役なのか、キッチュ・キッズの誰も知らない。

00年代の子どもたちにこれ程までの情熱があったことに一番驚いたのは、彼ら自身だった。

キッチュ・キッズたちは、このムーヴメントこそが自分たちが真に求めていたものであると信じることができたし、初めて社会に自分たちが「居ていい場所」を見つけることができた気持ちを共有していた。

始まりは名前も聞いたことのないような芸術大学の文芸サークルで自費出版されていた雑誌「オール・フィクション」だったと聞いている。彼らは血眼で書き綴った小説をオール・フィクションへ寄稿し、どんなに自分が傑作と信じようが「なんちゃって」とお茶を濁すように、これらの全てが嘘だと言い切った。初めは予防線のつもりだったが、思いの外居心地の良いこの形態に「だって全部嘘だもん」と居直った彼らの作品群はある1人のアーティストの手によって、社会を彷徨う若者たちの前にメシアとして提示された。

レモンジャムのスミレは、そのアーティストについて「無垢なペテン師」と言っている。

キッチュ・キッズたちが本気で作り上げた嘘の時代に、太ったビーグル犬が悲しい目を向ける。足の悪い老人は1m先の地面を睨みながら手垢で汚れたリードを強く握りしめた。