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オーケー、ボーイズ&ガールズ

9/16

 

 

多分6年ぶりくらいに、自主的に実家に帰った。本来、噂に聞く「何も変わらない生まれた町」は何もかもが変わっていて、もちろん僕の方もすっかり変わっていて、その間に横たわる大きな溝を、相変わらず季節は過ぎていった。

 

帰郷の話をする前に、この間交差点で信号待ちをしていると夏を諦めた風の匂いがして僕は生まれた町のことを思い出した。そしてそうか、僕のいないあの町もこれまでと同じように、季節は変わっていくわけなんだと思った。

 

まず庭。祖母の自慢の庭。息の長い百日草が、チューリップが終わった後から秋までずっと咲いていた素敵な庭。あの家にいた18年間でみたこともないようなほど雑草に侵され、さらに百日草など見る影もなく、どうしてだか下品な口紅みたいな色の鶏頭がぶくぶく肥えて、まばらに生えていた。奥の方に一輪の白百合。おそらく最期の生者。

祖母が呆けた。呆けた祖母に母がひどく当たって、悪いことばかり言って貶した。昨日は怒鳴り合いの喧嘩をしてお互い泣いたという。

そして彼女は初めて正職を手にした僕にお祝いの言葉1つなく、ただずっと祖母の悪口を語って聞かせた。悲しい気持ちでいっぱいになったけれど、僕にはそんなこと悲しむ権利がないかもしれない。

僕は家を離れているから何かを言う資格なんてないけれど、実際今僕はとても悲しく、次に帰る時は手品の1つでも覚えてふたりに見せてやろうと考えている。

 

嬉しいこともある。姉が子どもをもうけて、その甥っ子が天使のように可愛いということ。彼の健やかな成長を陰ながら願いたい。そして中学生になったらNikeでもadidasでもlegalでもいいから好みの立派な靴を買ってやりたい。

 

毎日死を予感する祖母に、味方がいないと悲観する母が、冗談でも言っちゃいけないことばかり言う。僕の友だちにはそんなひどいことをする人が1人もいないし、記憶の母もそんな人ではないのに…一緒に居続けると、もしかしてそんな風に関係が変わっていってしまうんだろうか。それは一体、誰が喜ぶことなんだろうか。それで気は晴れるんだろうか。僕らがいつか必ず死んでしまうこと、もしかして知らないのだろうか?

 

母には僕の決まった仕事についてもひどいことを言われたけれど、まぁそれはいい。僕は頑張ることに違いがないのだから。とにかく好きな人が好きな人を悪く言うのは嫌だ。家族となれば尚更そうだ。狭いところでずっと生きると良くないかもしれない。猫だって自分の子供を食ってしまったりする…

甥っ子が悲しい思いをしないといいなと思う。

 

そして僕はただちに結婚して、その家で子どもを産み育てろとあの町にいる親族全員に言われた。とんでもない相談だ。みんな、子どもの作り方を知っているはずだから、デリカシーのない提案だと思う。父だけは何も言わなかったけれど。閉鎖空間ではデリカシーの質も違うのかもしれない。たしかにそうだ。僕が、中学生のころ好きだった男の子に一緒に帰ろうと懇願して帰ってもらった夜に、仕事から帰ってきた母が、あの男の子と付き合っているのか?と聞いてきた。町の誰かが僕らを見て母に連絡したのだ。今考えると恐ろしい話しだけれど。

 

しかしながらあの町の持つ草木の健やかさは相変わらず旅人を癒しているし、風はいつも良い匂いを孕んで路地や田畑を駆けている。人や人の作るものが絶え間なく変わっているだけなのだ。桃源郷は記憶の中にさえあればいい。それが一番美しい。

 

僕は変われて嬉しい。めったに怒ったりしないで、人の話をよく聞く人になりたいと思っていた。自惚れだけど、前よりは良く出来てる。

 

僕の曽祖母からもらった部屋は父の仕事部屋になっていた。僕はあの乾いた畳の部屋でストーブを焚いて、遅くまで物語を書いたりしていた。ヤカンでお茶を沸かし、壁一面に映画のポスターを貼り、古い小さなテレビで夜な夜な映画を観た。跡形もない、と思ったが、父のジャケットをよけると、襖に気味の悪いほど画鋲の穴が開いていた。確かに僕はここにいたらしい。

あの頃の僕が今の僕に会ったら、きっとすごく喜ぶだろうな…

僕は確かにあの家にいたらしい。今この汚い6畳のアパートが、あの家よりも心安らぐのは、今じゃこっちが僕の家ってわけなんだろうな。

残念だけれど、僕の記憶の中で美しくあれ。時々帰るよ。お土産をたくさんと、3つくらいとびきりの冗談を用意して帰るよ。

 

 

 

 

8/15

 

ここのところ嘘ばっか書いてたので今日は事実だけを書く試みをしようと思う。

先日、飼っている雄猫を何の気なしに散歩へ出したら、運悪く近所に住む雌の野良猫と鉢合わせてしまった。彼女はスカした風で我が愛猫に一瞥をくれただけだったが、こっちの雄猫は雌の猫なんか生まれて初めて見たものだから、我を忘れてひどく興奮し始めた。

もう、それから3日も経つが彼は一日中けたたましく鳴き喚いて、おそらく彼女を呼んでいるんだろうけれど、僕は近所の人間がうるさい猫と僕を殺しにくるんじゃないかと肝をつぶしている。

興奮し続ける雄猫をなだめる方法はこの世にはない。明日、病院へ行って去勢手術を受ける算段をつけようと思う。

しかしながらその間まで鳴かせっぱなしではいよいよ隣人がノイローゼになりかねないので、僕は猫がけたたましい鳴声をあげるたびに抱きかかえてあやし、それもいきなり飛び出すものだから腕にいくつも傷を作った。

その他にも、風呂のシャワーを出しっ放しにしたり、良いステレオで環境音を聞かせてやったらしている。効果はあるが持って20分というところだ。僕は昼夜問わずそんなことばかり繰り返していてうまく眠れないものだから、身体をむくませながらイラついている。

どうしようもないときは猫用キャリーバッグに彼を詰め込んで、落ち着くまで布を被せている。それでも入れっぱなしにはできないから、これも持って2.30分という感じ。

彼は今5歳くらい(拾ったのでいつ生まれたかは知らない)だから、人間で言えばそろそろ結婚しても良い歳だ。成人したてくらいか?

うるさくて乱暴な猫に腹を立てても仕方がないし、そもそも生き物の欲情という全く正常な行為に僕が太刀打ちできるはずもなく、去勢という理に反したことでしか共生出来ないことを申し訳なく思う。出来れば、したくなかったけれど、あの時彼女に出会わなければこうもならなかったとは思うけれど…今も彼を抱きかかえながら日記を書いている。

しかしやはり、野生で生きてきた雌猫は貫禄がある。贔屓目もあるけれどウチの猫はなかなか、生命力に溢れているし、毛並みもいいし、何より男前である。けれど彼女にとってみれば、外の世界をこれっぽっちも知らない、温室育ちのモヤシ猫に違いないのだ。モヤシ猫。

だが、そのモヤシ猫も彼女と出会ってからというもの、水もあまり怖がらなくなったし、僕の言うこともサッパリ聞かなくなったし、マタタビにさえ興味を示さなくなった。恋は人間だけでなくモヤシ猫さえも変えてしまう魔法らしい。恋をした彼にはもうすっかり参ってしまったけれど、ほんと、降参、けれど、僕たちの理性は素晴らしいものだなと文化的な人間である僕はひとり深く頷いている。

問題は、モヤシ猫が本当に彼女だけに恋をしたのか、それとも始めに目に付いたのが彼女だったから恋をしたのか、ということだ。おそらく前者だとは思うけれど、そうだとしたらまた次にすれ違った雌猫に彼は襲いかかるつもりだろうか?僕が育てたのだから、せめて一途であってほしいと人間の僕は思う。もちろんそんなことはモヤシ猫には関係のない話である。モヤシ猫どころか、仮に僕に人間の子どもがいたとしても、彼あるいは彼女には関係のない話である。やりきれないが、僕じゃないんだから仕方ない。

そういえば、今思い出したけれど、大学に通っていたころガラス張りの研究室で、僕がピシピシ音を立てながら忍び足で歩いていると不意に、ニキビ面の女の子が「あなたってそうやって、人は人って割り切り過ぎるから教師に向いてないと思うの」と言われたことがあった。僕は怯えて、「そうか、大丈夫、僕は先生にはなれないから…」と言い訳をして逃げ帰った。その子からは前にも協調性がないと叱られていたので、僕のそういう性質か、あるいは僕自身がよほど気に食わなかったんだと思う。そして僕はやはりそれを仕方ないことだと思っていた。そういうとこだよな…。

でも見てみなよこの猫。協調性どころか道徳心もないぜ。猫だもんな!当たり前か!ウケる

それと僕と暮らすモヤシ猫は、僕に人間的優しさを与えてくれたことは一度もない。それどころか猫的優しさを与えてくれたこともない。猫的優しさとは多分グルーミングとかだろうと思う。僕は彼を拾ってからほとんど下人のように彼の世話をしているからね…。血縁でも雇主でもないのに不思議な話だけれど。猫だからというだけで、かわいい、申し訳ない、という気持ちで甲斐甲斐しく世話をするものだからモヤシ猫の方もいよいよつけあがったのだろうか。つけあがるなんていうのは人間だけの話なんだろうか。それで飽き足らず僕はキャットタワーの購入を考えている。新しい爪研ぎも買おうとしている。野生で生きられず果てには去勢させられるんだ、それくらいじゃ足りないだろうがせめてもの罪償い…もちろん猫には関係ない話である。全ては僕の傲慢だ。このうるさいホカホカの生き物の一生を、僕の好きにするっていうんだからおこがましいよな。拾わない方が良かっただろうか。カラスにつつかれて死んだ方が…こればかりは考えても分からない。でも多分そうなんだろう。

参ったよほんとに。でもかわいい。とてもかわいい。腕の傷は痛いが、目に入れるのは痛くない。サッパリ痛くない。

 

 

 

8/14

 

また、たとえばの話なんだけれど、この町に大きな脳みそがあって僕たちがその意思に身を委ねる選択をしたとしたら、まず始めにそれがひとつの自由な意思選択になる。それで完全な自己放棄、というのも僕の選択であり、完全でない自己放棄という選択をすることもできる。大きな脳みその意思に従う、というのはそれがなんであれ、僕の自由意思によってマゾヒズムを享受するに過ぎない。

大きな脳みそが突然、それまでの穏やかで意味ありげな行為に反して非道徳的なことを僕にさせようとするとき、僕はあるいはそれに気がつかないかもしれない。それは盲信とか心酔の働きによってではなく、結果的にナルシズムによるものかもしれない。僕には、その大きな脳みそのせいにできるほど自分を欺く器用さがない。僕は僕を裏切り者にしたくないあまり、何も聞こえない耳を頼るのだ。

たとえばこの川の先には必ず海があると教えられ、川に飛び込んだナメクジかなんかが、濁流に飲まれ岩にぶつかりながらその旅をやめないなら、それはナメクジの意思であり、海に辿り着きその塩で溶けた時ナメクジは、本当にその旅路が彼の為にあったと彼が信じるなら、「海がしょっぱいなんて聞いてない!死んじまう!」なんて怒ったりしないんだ。「なるほど、これが海か」と口の中で呟きながら溶けてくわけなんだ。そういう心づもりをして、僕は信じられるものの全てを信じている。

 

 

8/7

 

最近は色んなことを色んな人がいるな、で済ませているのでどんどんバカになっている感じがする。バカになっているせいか、何を見ても面白いし、気に入らないことがあまりない。このままシンクの水垢や猫のクソにも感動できるようになりたい。

 

昨日見たテレビ番組で、夢の話をする女が嫌いという話があったのだけれど、僕は夢の話が大好きで色んな人に話してとせがんでいるし、時々みんなに話しているので、その中の誰かには、あるいは全員に嫌われているのだろうか。

存在してるものはいいよね、好きとか嫌いとかあるから。そういえばミヒャエル・エンデはてしない物語でも、主人公のバスチアンは名前をつける能力が彼を英雄たらしめたし、ナウシカ巨神兵にオーマと名付けたために彼は人格を持ったりした。そして僕は産む予定のない子どもの名前を何年も前から考え続けている。

我々にとって存在するものの全ては名前か、名前に相当するものをもってる。チーズとハチミツのピザはクワトロフォルマッジというらしいし、黒くてモヤモヤしたもの、とかウサギみたいな耳とか、夏の前の雨の匂いとか。名前のないやつでさえ必要があれば名前は与えられる。ジェーン・ドゥのように。

でも僕は割と球体幻想を間に受けているタチだから、眼球だけほじくり出して地面においてみたって、その目は何かを写していると考える。ただ僕らは去勢された目をかさぶたみたいな脳みそにひっつけて世の中のことを喋るしか出来ないから、名前というものが持つ価値を存在に与えることでしか認識できない。そして認識と言葉が世界を構築しているのは、人間である限り如何ともしがたい。陸に住むものが水の中で息ができないのと同じだ。そして存在のシグナルは真夜中の灯台のように、船が海へでなくても、音もなく光を投げ続けるものだ。つまり、眠れない女の子が窓からそれをみて安心するかもしれないし、近所に住む銀行員は遮光カーテンをびっちり締めきって恨み言を口にするかもしれない。だれかがなんかしらは言う。そして夢の話が好きな僕も、嫌われたりする。嫌われるのはふつうにいやだけど、それも僕という存在のシグナルだ。

 

この間伊藤くんがナショナリズムについて話していたけれど、国家に限った話でもない。あらゆるものは幻想だ。だから僕はサイバーパンクとかエスペラントとか人類補完計画とか好きなんだけれど、実はその中でもカフェオレが一番好きなんだ。だからなんというか、そもそもヴァーサスの関係をつくるような個々の強い意志そのものを僕は危険思想に感じるくらい、曖昧に生きてる。だって街中によく切れる刀が立ってたら腑抜けの僕なんかすぐ死ぬじゃん。しかも絶対的な正しさって、たとえばそれが僕にとって正しくても、暴力じみてる。激しい力で統率される。正しさを盾に怒りが許される。許された怒りで否定された人たちがまた怒る。おこりんぼ大陸。おこりんぼの星。原始的な宇宙人の住む、おこりんぼの星。アイデンティティがなんにせよ、確固たる意志があると必ず戦わなきゃならない。それ以外が認められない限りは。ブラックか、ミルクか、刀を持たない僕は斬られるのを待つか、刀と平行に歩くしかない。もちろん、刀を手に入れるという選択肢もあるけれど、そうなるとマグカップをティースプーンで混ぜることが叶わない。僕はカフェオレが好きだけど、マグカップの底に溶け残った砂糖は嫌いだ。損した気分になる。だから甘いカフェオレを飲んでいる間は、演説の上手い方に乗ることにしている。騙されるなら良い物語の方がいい。晴れた春の昼過ぎみたいに寝ぼけた頭で、できれば生き抜いて死にたい。

エスペラントというバベルの塔建設は結局失敗してしまったけれど、神になりたがる我々の健気が、あるいは傲慢が、僕はとてもラブリーだと思う。言語統制された世界でもプロポーズやラジオのオープニングトークや悪口なんかは結局それぞれなんだろう。いや、だけど、第1世代はたとえば、「残された2つのグラスの跡」とか「木の隙間から溢れる光」とか「暗く静かな森に1人でいる感じ」をひとことで表す言葉がなくなることについてはヤキモキするだろうな。でもまあ人類は言語に優れた生き物だから新しい表現が生まれたりするんだろう。しかしこれも多分現実化するとなればブラックかミルクかになるのかな。管理されるために同じ言葉と思想を強制されるだけ。人類が神になれない大きな理由はユーモアが足りないからだと思うよマジで。

いやでもね、分けすぎとは思うよやっぱ。病名とかも。名前持ちすぎるとモーツァルトみたいになるよ。全部名前っぽいもん。ヨハンネス・クリュソストムス・ウォルフガングス・テオフィルス・モザルト。モザルトて。モーツァルトじゃねえのかよ。アマデウスは?それに比べてルート・ヴィッヒ・ヴァン・ヴェートーベン。ヴェートーベンがめっちゃ名前っぽいじゃん。ルート・ヴィッヒ・ヴァンがもう序章に過ぎない感じする。ホップステップ的な感じ。とにかく名前持ちすぎるとそれに自我を頼るようになる。囚人服を着続ければ警官に怯えるようになる。だけど、セーターだって寒けりゃ夏でも着るよ…僕には解き方が分からない問題ばっかなんだ。

黙ってカフェオレを飲むしかすることがない。ねぼけた僕は待ってる。シンクの水垢や猫のクソに感動しながら、もっと素晴らしい演説を期待している。無責任で申し訳なく思うけれど、ジェーン・ドゥ、素敵な世界になるといいね。

 

 

 

7/2

 

長い間土の中にいた僕らの友だちが初めて話す声を、今日僕は聞いたけど、それよりも1日早く僕たちは夏をやったので得意な気分になった。

 

昨日、友だちが運転する車の窓から夏に咲く花が見えた。僕が、好きな花だ、と言ったら二人は「タチアオイ?」と声を揃えて言った。僕はこんなに幸せなことがあるか?と考えた。

いつだってへどもどつかえながら話している。好きな友だちには、伝わらなくていいなんて思えない。欲深いだろうか。分からなくていいなんて思えない。

 

僕たちにとって特別な、素敵な女の子が一緒に青い車に乗っていて、「私って何者にもなれないで、誰かと結婚して、子どもを産んで、それだけの人生なんですよきっと…」と僕らに話す。僕たちは参る。君はもう誰ともまるで違うスペシャルな女の子なのに、そんなことを考えていたなんて!僕は前のSAでソフトクリームを食べたせいで腹を冷やし、夕立みたいに突然の便意に襲われた。運転してくれている友だちが速やかに次のSAへ車を滑らせ僕はこんなに大事な話の途中にもかかわらずトイレへ駆け込む羽目になった。僕が蒸し暑い個室で冷や汗をかいている間、みんなどんな言葉を彼女にかけたんだろう。ソフトクリームを食べた自分を責めながら彼女にかける言葉を探したけれど、水を流すレバーを探している間に全て忘れてしまった。車に戻ると話は終わっていた。彼女の着ていた水色のワンピースがとても似合っていることにその時気がついた。

 

クーラーの調子が悪く、車内がピザ窯くらい暑くなって汗だくになった。窓からポップコーンみたいな雲が見えるたびに、あれは入道雲?と伊藤くんに尋ね、伊藤くんは、あれは違う、まだ赤ちゃん、と言った。やはり夏はまだ来ていないんだ!

 

たくさんの人に一度に初めて会ったので、やはりへどもどしながら挨拶や自己紹介をした。僕は200円でピアスを買い、さっそく1つ無くしてしまった。水滴に紫陽花の雄しべが2つ落っこちているようなデザインだ。僕の耳には左しか穴が開いていないからちょうどよかった。7年前、意気地が無くて両方開けられなかったままだ。別に困らない。意気地なんか無くてもね。苦しみに耐えるために必要なのは幸福を強く夢見る能力だと先生は言った。

 

7年前くらい、僕は足の指にキラキラした青いペディキュアを塗るのが好きだったと思う。自分の足じゃないみたいだった。僕は今の自分じゃない自分に憧れていたのかもしれない。その時はまだ、鏡だってマトモに使えていた気がする。髪を梳かしたりリップを塗ったり。憧れがあるというのは、自分のいるところが分かっていい。

 

入道雲が僕らの首が痛くなるほど沸き立つワケを彼女は知っているだろうか。笑顔の素敵な彼女が眉をしかめて絞り出す言葉を僕らは分かろうとする。彼女は変わろうとする。僕たちは多分何度でも新しい君を分かろうする。僕たちはあのヘンテコな雲が馬鹿みたいに膨らんでいくことをこんなにも待ち望んでいる。何者でもない僕たちの夏は、いつでも前とは違うんだ。

 

 

6/12

 

また扁桃炎になってる。扁桃炎になる度僕は死ぬことを身近に感じて憂鬱になる。

最近、二枚の同じ皿の上にそれぞれ、石鹸とカシミヤの靴下を乗せてとやかく言うヤツが多過ぎる。そもそもどっちも食えない。どっちもグレープフルーツ風味の醤油ソースなんか合わない。馬鹿げてる。もしかして僕のこと騙そうとしてるの?冗談なのかな。石鹸はお風呂で身体を洗うときや、お母さんがクローゼットの香り付けにガーゼに包んで入れるもので、カシミヤの靴下はおばあちゃんが寝るときに履く。おんなじ皿に上げて、食おうなんてどうかしてるよ…。欲張りすぎるね、少し。

僕はアナナスパイが好きだ。暑くなったらもっと美味しい。もしかして、食べてみたら石鹸やカシミヤの靴下もうまいのか?そんなわけない。ダイエットにはいいかもしれないけど、どちらにしろ僕は扁桃炎だから、柔らかいうどん以外のものは食べられない。噛まなくて済む代わりに考えなくなる。考えないから僕はイラついてこんな嫌味を書く。それって、つまらないね…。

 

僕が扁桃腺を手術で取ることを考えていると話すと「凍らせて取るのよ、そしたら日帰りでいいんだから」と児玉さんは言う。椅子に座って口を開けるだけで、医者が扁桃腺を凍らせて壊死させてくれる。簡単な手術。そんなまさか、と僕が驚くと、もちろんその後は痛むけど、今はもう何ともないのよ、と言う。

 

もちろんその後は痛むけど、今はもう何ともないのよ。

 

いろんな青春映画を観たけれど、その終わりを象徴するのは新しい家庭だ。ワルかったアイツも嫁をもらって子どもがいる。あんなことがあったけれど結局今は別の幸せで上手くやっている。スタンドバイミーオチ。時々青春の中で死ぬ奴もいる。イカしてる。僕らは人生の一等瑞々しい時間を過ぎた。これからやってくるどんな素晴らしい幸福も、実はあの野蛮な興奮で肉体の限りを激発させる、エネルギーに満ち満ちた暴力的な魂の震えを感じることには勝らない。

我々はあの時死ななければ、それからずっと、凪を求め凪に暮らすのだ。そして言う。もちろんその後は痛むけど、今はもう何ともないのよ。

 

その後やって来た佐藤さんに、児玉さんが扁桃腺を壊死させた話をする。すると佐藤さんは、やっぱ子ども産むのが一番痛いらしいから、それ以外どうってことないのかもよ、母は強し、と言う。扁桃腺を凍らせて壊死させるよりも痛いことがあるなんて僕には信じられない。だって、白い斑点が出たらもうずっと息するのだって痛いんだよ。一日中泣いてたって飽きないくらいなんだ。やっぱ、そんな痛い思いして産んでもらったなら毎日ハッピーに生きた方がいいっすね、と佐藤さんに言うと、そうだよなー早くPS4買えよ、モンハンしよーぜ、と彼女は僕の肩を叩く。

 

僕は未だに青春の痛みが耐え難く、何度も線香を上げるが未だに経を読み終えない。漠然とその影をさまよう日もある。僕のその物語に含まれる彼女たちはとっくに結婚し子どももいる。スタンドバイミーオチ。僕らの思い出は可愛いお菓子の缶にきちんと収まっているんだろう。僕だけが、痛みに、痛みの意味も分からなくなった今も頭を抱えていると思うと、滑稽で気が滅入る。

 

椅子に座って麻酔もせずに凍らせて取るというのは一体どんな感じなんだろう。めちゃくちゃ怖いし痛そう。だけどどんな痛みもいつかは何ともなくなるんだ。いつかはね。今は扁桃炎が憎くて仕方ないけれど。早く液体をゴクゴク飲みたい。更に、民間療法ですり潰した仙人草を手首の内側に貼る、という治療法もあるようだけど、一体どういう仕組み?なんかそっちの方が怖いな…治るならなんだってしたいけど、出来たらこれ以上滑稽にならない方法がいいな。

 

 

 

 

 

love you down

 

僕は夜の木の形が、ガサツで柔らかい紙の吸い上げる液体の形だということに気づいた。もしかしてオゾン層が、もっと上の空が僕たちの星を吸い上げているのかもしれない。そして僕たちもいずれはそれに吸い上げられて、知らないところまで行くのかもしれない。

僕は猫はいつだって壁をすり抜けると思う。なぜなら僕たちの存在が、何をもっても絶対なんて言えないからだ。僕は時々思う。USBの方が多分まだマシ。僕たちよりも優れている。古いMacBookにもかっちり差し込める。鍵穴と鍵みたいにぴったりなんだ。それに忠実に記憶する。波にさらわれる白い貝殻のように、消えたりしない。そして忠実に伝える。途中で尻尾や葉や羽が生えて飛んで行ったりもしない。

 

僕は信じない。君たちは知らないかもしれないけれど、僕たちはいつだってただのハリボテなんだよ。泥人形でもいい。そこに付箋で様々なデータを貼り付けただけのものだってこと。僕は知ってるんだ。初めて気がついたのは高校三年生の時だ。僕はミーちゃんと向かい合っておしゃべりをしていたんだけど、突然猛烈な違和感に襲われた。次に彼女へ相槌を打った時、ミーちゃんは僕の知っているミーちゃんではなくなっていた。もちろん彼女と話していた内容も、彼女の酷い体型も醜い行動も好きな食べ物のことも、全部覚えている。僕は泥人形にそれだけたくさんの付箋を貼っていただけだったのだ。

 

それは鏡の中でも起こる。だから僕は信じない。明日僕たちは壁をすり抜けるかもしれないから。

 

僕は今だけを愛してる。海馬がウィルスに感染してしまったから。調べる方法があるよ。何か大事な思い出を思い出してみて。その記憶に君自身が出てきたらそれはもう、やられちゃってるね。

愛してるって言うのはさ、つまり好きってことじゃないよ。僕は今って時間だけならどんなことでも受け入れることができるって意味だよ。でも過去と未来は別だ。過去に起こったことは悔い続けるし、未来に起こることは怯え続ける。そういう意味だよ。

 

そして僕たちの持つ鍵穴というのは、プラスチックやアルミや銅とは違う。最低な代物だ。プレデターみたいにグロテスク。僕なんて自分のがどうなってるかさえ知らないんだ。知ってるのは鍵を持ってるやつだけ。僕は付箋だらけの泥人形が付箋だらけの泥人形と合体したがることに、泥人形じゃないという言葉の欲望を感じている。僕たちはそうやって欺瞞の中で心を育てていくんだ。

それは素敵なことなんだよ、ボーイ。

欺くことはいつだって正直さを持ってる。もしかして一番正直なものなんじゃないかな。欺瞞の背中にはいつだって本当のことしか書かれていないんだから。ただ良くないのは、喧騒に慣れて耳を澄まさないことなんだ。

 

僕はさっき、朝がやって来る前に空が街に横たわっているところを見てしまった。まだ街頭だって付いたまま。本当は見ちゃいけないんだよ。誰かの寝顔を覗き見るなんて、デリカシーのないことしちゃいけない。これから僕らが起き出すより早く、他の生き物の何よりも早く、彼は一番高いとこまで行って身支度しなきゃならない。僕空になんて生まれなくてほんとよかったよ。早起きするよりウトウトし続ける方が好きだもん。

 

ねぇ誰もミランダ・ジュライの映画を観てないの?素晴らしいのに。多分あの子、うんこを出し入れするってメールしてデザイナーのババアを興奮させたあの小さい男の子、きっと期待したんだと思うよ。あの音が朝を連れてきてるんだって。まさかコインだとはね。だけどここってそういうとこなんでしょ。I know,I see.そういう付箋が貼ってある水槽なんだ。

 

ベイビー。僕どんなことだって話しても構わないんだ。前髪を切りまくったよ。泥人形だなんて嘘。僕たちは形だ。かたち。ハグだって出来る。もしかして君をすり抜けることがあるかもしれないけど。それはそれでナイス。どこかで混ざり合うかもね。そしたらベリーナイス。

 

僕が信じるのは目に見えないものだけだよ。きっと僕の目がいいからだね。たとえば僕たちの井戸の底に流れてる大きな水脈。それが生み出す心象。使い古したブランケットの匂い。テニスボールの軌道。月の光。稼働中の洗濯機と冷蔵庫。オーブンは見ちゃうけどね。トンネルの中の排気。なにかにまつわる関係性。おしゃべり。メロディ。チキンナゲットのカロリー。それは嘘だけど。実はUSBのことなんかちっとも信じてない。嘘を忠実に伝えたって鉄は食えないよ。プラムなら食べられるし、鳥は羽を整える。飛んで行っちゃうかもしれないけど、それは紙が水を吸うのと同じだから嫌ならロウで固めるしかないね。でもワックスペーパーにしたらもう上に文字は書けないよ。僕それは少し阿呆らしいと思う。短い鎖で犬をつないだら、結局自分が嫌になるだけだもん。悲しい犬の顔が好きならいいけど。そんな人いる?

 

ハニー。僕君たちがため息みたいに短い文章を書き続けること、僕はグミみたいに食べ続けてるんだ。果てのない自己紹介だ。出来たらなにもかも分かりたい。君が見えてほしいと思う君を、僕は見たい。つまり僕たちは他にいて、透明で、いつだってぺたぺた泥を塗ってかたちを作ってる。透明な僕たちが他のかたちに付箋を貼ってる。なんて素敵なんだろ。君が許してくれるなら実は、透明な君を紹介してほしいけど、だって何度も会ってるのに口を聞いたことないのって気まずいよね。ごめん、僕も次にあったら僕をうまく紹介出来たらいいなと思うよ。

 

こんな前向きなこと書くの久しぶりですごく嬉しい気分だよ。