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夏の前の雨の匂い

6/12

 

また扁桃炎になってる。扁桃炎になる度僕は死ぬことを身近に感じて憂鬱になる。

最近、二枚の同じ皿の上にそれぞれ、石鹸とカシミヤの靴下を乗せてとやかく言うヤツが多過ぎる。そもそもどっちも食えない。どっちもグレープフルーツ風味の醤油ソースなんか合わない。馬鹿げてる。もしかして僕のこと騙そうとしてるの?冗談なのかな。石鹸はお風呂で身体を洗うときや、お母さんがクローゼットの香り付けにガーゼに包んで入れるもので、カシミヤの靴下はおばあちゃんが寝るときに履く。おんなじ皿に上げて、食おうなんてどうかしてるよ…。欲張りすぎるね、少し。

僕はアナナスパイが好きだ。暑くなったらもっと美味しい。もしかして、食べてみたら石鹸やカシミヤの靴下もうまいのか?そんなわけない。ダイエットにはいいかもしれないけど、どちらにしろ僕は扁桃炎だから、柔らかいうどん以外のものは食べられない。噛まなくて済む代わりに考えなくなる。考えないから僕はイラついてこんな嫌味を書く。それって、つまらないね…。

 

僕が扁桃腺を手術で取ることを考えていると話すと「凍らせて取るのよ、そしたら日帰りでいいんだから」と児玉さんは言う。椅子に座って口を開けるだけで、医者が扁桃腺を凍らせて壊死させてくれる。簡単な手術。そんなまさか、と僕が驚くと、もちろんその後は痛むけど、今はもう何ともないのよ、と言う。

 

もちろんその後は痛むけど、今はもう何ともないのよ。

 

いろんな青春映画を観たけれど、その終わりを象徴するのは新しい家庭だ。ワルかったアイツも嫁をもらって子どもがいる。あんなことがあったけれど結局今は別の幸せで上手くやっている。スタンドバイミーオチ。時々青春の中で死ぬ奴もいる。イカしてる。僕らは人生の一等瑞々しい時間を過ぎた。これからやってくるどんな素晴らしい幸福も、実はあの野蛮な興奮で肉体の限りを激発させる、エネルギーに満ち満ちた暴力的な魂の震えを感じることには勝らない。

我々はあの時死ななければ、それからずっと、凪を求め凪に暮らすのだ。そして言う。もちろんその後は痛むけど、今はもう何ともないのよ。

 

その後やって来た佐藤さんに、児玉さんが扁桃腺を壊死させた話をする。すると佐藤さんは、やっぱ子ども産むのが一番痛いらしいから、それ以外どうってことないのかもよ、母は強し、と言う。扁桃腺を凍らせて壊死させるよりも痛いことがあるなんて僕には信じられない。だって、白い斑点が出たらもうずっと息するのだって痛いんだよ。一日中泣いてたって飽きないくらいなんだ。やっぱ、そんな痛い思いして産んでもらったなら毎日ハッピーに生きた方がいいっすね、と佐藤さんに言うと、そうだよなー早くPS4買えよ、モンハンしよーぜ、と彼女は僕の肩を叩く。

 

僕は未だに青春の痛みが耐え難く、何度も線香を上げるが未だに経を読み終えない。漠然とその影をさまよう日もある。僕のその物語に含まれる彼女たちはとっくに結婚し子どももいる。スタンドバイミーオチ。僕らの思い出は可愛いお菓子の缶にきちんと収まっているんだろう。僕だけが、痛みに、痛みの意味も分からなくなった今も頭を抱えていると思うと、滑稽で気が滅入る。

 

椅子に座って麻酔もせずに凍らせて取るというのは一体どんな感じなんだろう。めちゃくちゃ怖いし痛そう。だけどどんな痛みもいつかは何ともなくなるんだ。いつかはね。今は扁桃炎が憎くて仕方ないけれど。早く液体をゴクゴク飲みたい。更に、民間療法ですり潰した仙人草を手首の内側に貼る、という治療法もあるようだけど、一体どういう仕組み?なんかそっちの方が怖いな…治るならなんだってしたいけど、出来たらこれ以上滑稽にならない方法がいいな。

 

 

 

 

 

love you down

 

僕は夜の木の形が、ガサツで柔らかい紙の吸い上げる液体の形だということに気づいた。もしかしてオゾン層が、もっと上の空が僕たちの星を吸い上げているのかもしれない。そして僕たちもいずれはそれに吸い上げられて、知らないところまで行くのかもしれない。

僕は猫はいつだって壁をすり抜けると思う。なぜなら僕たちの存在が、何をもっても絶対なんて言えないからだ。僕は時々思う。USBの方が多分まだマシ。僕たちよりも優れている。古いMacBookにもかっちり差し込める。鍵穴と鍵みたいにぴったりなんだ。それに忠実に記憶する。波にさらわれる白い貝殻のように、消えたりしない。そして忠実に伝える。途中で尻尾や葉や羽が生えて飛んで行ったりもしない。

 

僕は信じない。君たちは知らないかもしれないけれど、僕たちはいつだってただのハリボテなんだよ。泥人形でもいい。そこに付箋で様々なデータを貼り付けただけのものだってこと。僕は知ってるんだ。初めて気がついたのは高校三年生の時だ。僕はミーちゃんと向かい合っておしゃべりをしていたんだけど、突然猛烈な違和感に襲われた。次に彼女へ相槌を打った時、ミーちゃんは僕の知っているミーちゃんではなくなっていた。もちろん彼女と話していた内容も、彼女の酷い体型も醜い行動も好きな食べ物のことも、全部覚えている。僕は泥人形にそれだけたくさんの付箋を貼っていただけだったのだ。

 

それは鏡の中でも起こる。だから僕は信じない。明日僕たちは壁をすり抜けるかもしれないから。

 

僕は今だけを愛してる。海馬がウィルスに感染してしまったから。調べる方法があるよ。何か大事な思い出を思い出してみて。その記憶に君自身が出てきたらそれはもう、やられちゃってるね。

愛してるって言うのはさ、つまり好きってことじゃないよ。僕は今って時間だけならどんなことでも受け入れることができるって意味だよ。でも過去と未来は別だ。過去に起こったことは悔い続けるし、未来に起こることは怯え続ける。そういう意味だよ。

 

そして僕たちの持つ鍵穴というのは、プラスチックやアルミや銅とは違う。最低な代物だ。プレデターみたいにグロテスク。僕なんて自分のがどうなってるかさえ知らないんだ。知ってるのは鍵を持ってるやつだけ。僕は付箋だらけの泥人形が付箋だらけの泥人形と合体したがることに、泥人形じゃないという言葉の欲望を感じている。僕たちはそうやって欺瞞の中で心を育てていくんだ。

それは素敵なことなんだよ、ボーイ。

欺くことはいつだって正直さを持ってる。もしかして一番正直なものなんじゃないかな。欺瞞の背中にはいつだって本当のことしか書かれていないんだから。ただ良くないのは、喧騒に慣れて耳を澄まさないことなんだ。

 

僕はさっき、朝がやって来る前に空が街に横たわっているところを見てしまった。まだ街頭だって付いたまま。本当は見ちゃいけないんだよ。誰かの寝顔を覗き見るなんて、デリカシーのないことしちゃいけない。これから僕らが起き出すより早く、他の生き物の何よりも早く、彼は一番高いとこまで行って身支度しなきゃならない。僕空になんて生まれなくてほんとよかったよ。早起きするよりウトウトし続ける方が好きだもん。

 

ねぇ誰もミランダ・ジュライの映画を観てないの?素晴らしいのに。多分あの子、うんこを出し入れするってメールしてデザイナーのババアを興奮させたあの小さい男の子、きっと期待したんだと思うよ。あの音が朝を連れてきてるんだって。まさかコインだとはね。だけどここってそういうとこなんでしょ。I know,I see.そういう付箋が貼ってある水槽なんだ。

 

ベイビー。僕どんなことだって話しても構わないんだ。前髪を切りまくったよ。泥人形だなんて嘘。僕たちは形だ。かたち。ハグだって出来る。もしかして君をすり抜けることがあるかもしれないけど。それはそれでナイス。どこかで混ざり合うかもね。そしたらベリーナイス。

 

僕が信じるのは目に見えないものだけだよ。きっと僕の目がいいからだね。たとえば僕たちの井戸の底に流れてる大きな水脈。それが生み出す心象。使い古したブランケットの匂い。テニスボールの軌道。月の光。稼働中の洗濯機と冷蔵庫。オーブンは見ちゃうけどね。トンネルの中の排気。なにかにまつわる関係性。おしゃべり。メロディ。チキンナゲットのカロリー。それは嘘だけど。実はUSBのことなんかちっとも信じてない。嘘を忠実に伝えたって鉄は食えないよ。プラムなら食べられるし、鳥は羽を整える。飛んで行っちゃうかもしれないけど、それは紙が水を吸うのと同じだから嫌ならロウで固めるしかないね。でもワックスペーパーにしたらもう上に文字は書けないよ。僕それは少し阿呆らしいと思う。短い鎖で犬をつないだら、結局自分が嫌になるだけだもん。悲しい犬の顔が好きならいいけど。そんな人いる?

 

ハニー。僕君たちがため息みたいに短い文章を書き続けること、僕はグミみたいに食べ続けてるんだ。果てのない自己紹介だ。出来たらなにもかも分かりたい。君が見えてほしいと思う君を、僕は見たい。つまり僕たちは他にいて、透明で、いつだってぺたぺた泥を塗ってかたちを作ってる。透明な僕たちが他のかたちに付箋を貼ってる。なんて素敵なんだろ。君が許してくれるなら実は、透明な君を紹介してほしいけど、だって何度も会ってるのに口を聞いたことないのって気まずいよね。ごめん、僕も次にあったら僕をうまく紹介出来たらいいなと思うよ。

 

こんな前向きなこと書くの久しぶりですごく嬉しい気分だよ。

 

 

5/22

 

僕は割り算が出来なかった。何度説明されてもまるで意味がわからなかった。特に「割られる数の中に割る数が何個くらい入るか」という予測が出来なかった。その文章の意味さえよくわからない。実際今もよくわからない。

そもそも1+1もわからなかった。でもそれはそういうものだとなんとか乗り切ったけれど、「割られる数」というものはそもそもすでに独立した数字なのだから他の数字で表すことがどうして出来るのか、僕にはわからなかった。

僕にとってそれは「メロンパンの中に消しゴムは何個あるでしょうか?」みたいな質問で、何もかもが間違っているし、そんなこと考える必要があるのかと不自由な思いをした。つまり、消しゴムを12個集めると、メロンパンになります。余ったところは梅干しにして置いておきます。

だけど、メロンパンが2個ずつ入った箱が2つあります。と言われたら、メロンパンは全部で4つだと分かる。4つのメロンパンを2つの箱に分けて入れるとなると、それは入れてみないと分からないという気持ちになる。

 

今でも数字は苦手だ。ライブの日にちをちゃんと覚えておけない。2日くらい前になるとようやく意味が分かる。僕の人生には前後2つの数字しか存在していないのかもしれない。数字の連続性に実感がない。どこかで入れ替わっていても分からないと思う。1.2.5.3.4.6。

9/1は弟の誕生日だと覚えている。弟が生まれた日だ。でも弟が生まれた日、というのは「くがつ ついたち」という日なのだろうか。「くがつ ついたち」が次に来るのはいつだろう?もちろん、八月が終わったら来るってことは分かっている。だけど検討がつかない。みんな本当は、カレンダーがない真っ暗な井戸の底で過ごしていたら「くがつ ついたち」のことなんて分からないんじゃないの?分かるの?どうして僕には分からないんだろう。

 

僕は生まれる形を間違ったのかもしれない。お前は本当は、虫とかエビチリとかスパナとかに生まれる予定だったと神様に告げられたら、ああーやっぱり!と安心すると思う。

 

僕にも分かることがいくつかある。「今の言葉は失敗だった」ってこととか。

僕は長く眠れない夜と付き合ってきたが、考えるのはいつもそのことだ。分かることだから余計に考える。

 

僕は小学校は皆勤賞だけれど、そろばんと性教育の授業だけは早退で受けていない。そのせいでぼくはみんなとズレてしまったと思っている。多分この世の中の地に足をつけて進むためにはそろばんと性教育が必要だったのだ。

 

「個」として生きることを選択する、それを美徳のように思うことは僕にも分かる。みんなちがってみんないい。そういう思想。だけどそんなこと言っておきながらそういう人たちは僕のことめちゃくちゃ正そうとして来る。それは違う、間違ってる。道路に落ちた飴を食うな。地下鉄で鼻歌を歌うな。魚肉ソーセージを食べながら歩いたらジロジロ見るぞ。爪を噛むな。言うことを聞け。聞かないと仲間はずれだぞ。なんだよ、結局自分勝手を許されたいからそんな理想を語ってるだけじゃないか。みんな嘘ついてるんだ。本当は、自分にとって都合のよい世の中がいいってだけなんだ。ほんとはみんな魚肉ソーセージ食べながら歩きたいくせに。自由なこと妬ましいんでしょ。僕も唾吐きながら歩くおじさんは嫌だよ。おんなじ気持ちだけどさ。

 

エスペラントで脳内イメージを言語化から映像化するサービスが開始されて、全てのスタバにそのインターフェースが配置されることになって、僕たちは自分の好きな時に自分の好きなイメージを、フラペチーノを飲みながら誰かの端末に残す事が出来るようになったらいいな。ポケベルみたいに…

そうしたら僕は圧倒的なハッピーだけを君に送るよ。

きっと僕たちはいずれ言語を捨てるんだよ。それがいつかは、2日前くらいにならなきゃわからないけど。

 

感情エネルギーを食べて生きてる、水星の地底のモグラ型宇宙人のこと知ってる?彼らが穴を掘るのは他の個体に会うためだけだよ。たまたま誰かに会えたらすごく喜ぶんだ。みんなそのエネルギーを共有して食べてる。そうしないと餓死しちゃうから。穴を掘ってる。ただ黙って穴を掘り、仲間に会い、抱き合って満腹になる。ぼくそんな生き物に生まれることができたらよかった。でもさ、こんなに喋ってるってことは、わかるよね。ほんとはそんなのやだって思ってるよ。言葉のこと好きだ。物語はもっと好き。だって君と喋れるもん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5/1

 

僕は誰かの夢の話を聴くのがとても好きだ。

好きなものの話を聴くのも好きだけれど、それは気をつけないといけないことがたくさんある。好きな気持ちに優劣をつけるのはアホらしいという意見もあるけれど僕は、もしも誰かが何かをうんと好きな時、それについて失礼なことを言ってしまうことを恐れている。もちろんひどいことを言ったりよく知らずに貶したりはしないけれど、それでも時々気分を悪くさせるようなことを言ってしまうかもしれない。だから好きなものの話には少し臆病な気持ちがある。僕も出来たら好きなものの話をしたいけれど、いつもうまく話せなくなって悲しい気持ちになる。特に僕は僕の矛盾を正しく説明できないのが問題だ。

それに比べて夢の話というものは、脈絡もない、オチもなくていい、面白くなくてもいい。辻褄が合わなくても誰も責められないし、お互い変な気分になる。僕はその変な気分はセンスオブワンダーだと思っている。

 

先生の研究室にいた頃、みんなは熱心に古い漢字だけで書かれた本を読んでいた。そこがそういう部屋だったからだ。僕も何冊か読んだけれど全然わからなくて、先生に語って聞かせてもらった。先生が話せばどんな漢字だらけの本もとても面白かった。けれど先生は、これは私だけの解釈ですからと必ず付け加えた。

これは私だけの解釈ですから。君の物語ではありません。多分そういう意味だったんだと思う。

僕がその部屋に顔を出さなくなって久しく、猫を拾って間もない頃、空き教室で先生に会った。先生は突然、君はフロイトユングの本を読んだことはありますか、と尋ねた。僕がないと答えると、きっと好きですと教えてくれた。

僕は先生がどうしてそんなことを知っているのか不思議に思った。その頃ちょうど僕は半分夢の中で生きていたからだ。僕は脳みその半分を非現実的な日常に貸し出していて、そこにある緑の自転車や女の子の背負うリュックについて正確に把握できる事がほとんどなくなってきていた。たとえばその景色が「緑色の女の子が自転車を背負っている」と認識されるような感じだ。それがまるで夢のようで、僕が本当は夢を見ている蝶だと言われても驚かなかったと思う。言語野の秩序が乱れたことによる認識の歪みが原因だった。僕はそれから図書館へ行って、ユングフロイトの本を探して、水槽に浮かんでいる脳みそのことを考えながら読んだ。

 

僕は毎日解釈する。なるほど、大事にしていない皿が割れても悲しくないのか。なるほど、パンは耳までジャムを塗らないと一口目が美味しくないのか。なるほど、緑色の女の子はこの街にはいないのか。なるほど、なるほど。

そして誰かの夢の話を聴き、デタラメなイメージと原始的なメッセージを解釈する。そして僕は不思議な気持ちになる。僕と君は蝶に戻って、変な夢だったねと笑ったりする。それだけの取るに足らなさ、くだらなさ、おかしさが実はこの現実世界で起きている出来事だと醒めて気付き、僕は言葉を整理し認識する。僕は誰かの夢の話を聞くたびにその作業を無意識下で行う。

 

汚い部屋だ。ビールやチューハイの空き缶やタバコの吸い殻が机の上に散らかっていて、季節外れのコタツ、ヤニ臭いカーテンを閉め切ってまるで健康的でない部屋だ。男の子たちは寝心地の悪い服で誰もが顔をしかめて眠っている。デジタル時計は午前5時。洗面所にあったスクラブ入りの洗顔で勝手に顔を洗い、トレーナーの袖で顔を拭く。狭くて臭い台所から6畳にひしめき合う男の子たちが見ている夢を想像しながら煙草を吸う。海の底はこんな感じなんだろうか。海の底には灰皿があるだろうか。自動販売機があれば、まずい缶コーヒーを飲み干してそこに灰を落とせばいいけど…。突然冷蔵庫が唸りだして1人の男の子が目を開けたけれど、すぐに閉じてしまった。この人たちは目を覚ましたらどこへいくつもりだろう。多分当てなんかない。僕は?急に寒気がして電源の付いていないコタツに入る。足の臭いやつがいるな…そりゃそうか…。昨日一日中騒いでたんだ。まるで今日で世界が終わるみたいに破滅的に。みんなが起きたら夢の話を聞こう。またやってきた白々しい朝に気分が悪くならないように。眩しい帰り道で悲しくならないように、なんか話してよ。みんなが起きる前に歯ブラシを買いにコンビニへ行こう…と思ったところで目が覚めた。

 

4/28

 

僕が千切ったと分かってて、どうして「ヒナギク千切ったの誰かしら?」なんて尋ねるんだろう。僕が「知らない」と言ったらもっと失望することになるのに。おかしな話だ。

 

今日業務用スーパーのエスカレーターで、前に立つ黒人の男が突然振り返り、僕に「大丈夫ですか?」と尋ねた。赤いシャツがよく似合っている。iPhone純正のイヤホンもよく似合っている。彼がどうして僕にそう尋ねたのか分からないけど、僕は心配されるようなことはないので「大丈夫です」と笑顔で答えた。これはヒナギクとは違う。理由は分からないけれど、ただ彼は僕が大丈夫かどうか、純粋に知りたかっただけなのだ。そして僕は嘘をつかなかった。彼は続けて「名前はなんですか?」と僕に尋ね、僕は本当の名前を教えた。平安時代なら僕たちは結婚することになるところだ。彼は僕の名前を一度口に出してから、「それはどういう意味ですか?」とまた尋ねる。これは実に難しい質問。昔ヴァネッサにも聞かれた。僕がobedientと言ったら、そんな名前つける親がいるかしらと彼女は首を傾げた。彼も肩をすくめていた。

 

僕の名前は、両親が山梨へ行った時に寄った喫茶店で働いていた、女の子の名前らしい。マスターやお客さんがその名前を呼んで、彼女が返事をする。それで2人は思ったのだ。こりゃ呼びやすい名前だ。名前は呼びやすいのがなにより。

たしかに僕はあだ名をつけられたことがない。みんな僕の名前を何度も呼んでくれる。僕はこの呼びやすい名前がとても気に入っている。そして僕はよく躾けられた芝犬のように、元気よく返事をすることができる。obedient。

 

母が「ヒナギク千切ったの誰かしら?」と僕に尋ねた時も、一応は嘘をつかなかった。僕は、僕が千切ったのだと告白した。ただ母のために摘んだとは言わなかった。僕は姉にも責められた。千切っちゃうなんて可哀想でしょ。頑張って咲いたのに…

花が可哀想というのは、不思議な感じがした。みんなはよくシロツメクサで花かんむりを作っていたけれど、可哀想と思っていないように見えた。つまるところ僕の失敗は、摘んだヒナギクを束ねる青いリボンを持っていなかったことなんだろう。

 

花屋で働いていた頃、シャッターを上げて、夜の間に混ざり合った花の匂いを嗅ぐのが好きだった。残業を終える頃には花の匂いなんて分からなくなってしまう。そして店長が尋ねる。「今日何時まで大丈夫?」僕は「終電までなら」と答える。ヴァネッサはhonestと訳すことを提案してくれたけど、「今すぐ帰りたいです」なんて言わない。僕は飼い主に気を遣う、よくできた芝犬なのだ。

 

どう答えるべきかなんてだいたい決まっている。調子はどう?まあまあ。どうしたの?なんでもないよ。どうして靴下を脱ぎ散らかすの?ごめん。このワンピースどう?すごく似合ってるよ。obedient。

 

でも僕は一応嘘はつかなかった。僕は自我を持った兵隊だ。ソリを引く時は、一番うまく走ろうとする。芝犬はソリを引かないけれど。僕は僕の意思で一番よい言葉を選んで返事をする。ワン!

 

失望されることはもちろん嫌だ。僕はナルシストだから自分のせいでだれかが嫌な気持ちになるのも嫌だ。僕と話してくれる人はみんな嫌な気持ちにならないといいといつも思う。言わなくていいことは言わなくていい。だけど健全なコミュニケーションには正直なことが大切らしい。一応は嘘をつかないという卑怯な方法も、あながち間違いではないということかもしれない。つまり青いリボンで束ねることが重要なのだ。千切って投げるのはhonestじゃない。僕がもしそうしたなら「どうしてそんなことするの!」と母は怒ったかもしれない。それで僕が「お母さんにあげようと思って」と弁解すると「お花が可哀想でしょ、そんなの嬉しくないわ」と答え、姉はクスクス笑ったかもしれない。

心にあるものを正しく渡すには、どんな場面だってリボンを結ぶべきなんだ。僕は青いのが好きだけど、相手の好きな色もいいかもね。だけどサプライズはいつ起こるかわからない。口の中にリボンリールが付いてたらな。

 

 

 

 

 

 

 

4/21

 

薬局にいる化粧の濃い白衣の人に声をかけられてへどもどする。これなんか結構人気のファンデで肌に乗せるとパウダーになるんですよ、重ねても厚ぼったくないしこの下地と合わせると化粧崩れしにくくて、オススメですねー…

彼女は僕の知らないことをたくさん知っていてすごい。光を拡散させて毛穴を隠します。指でランダムにつけるとナチュラルに色づきます。ティントなら落ちにくいです。茄子は揚げなくても煮浸しが出来ます。キスするときは目を閉じます。イタリアの猫はスパゲティを食べます。お客様の肌色ですと雨の日のロバなんかお似合いだと思います。

彼女なら宇宙人が好きなガムの味を知っているかもしれない。

僕はおしゃれのことは何も知らない。リンスとコンディショナーとトリートメントの違いもわからない。だけどリンスはレモンの匂いが好きだよ。ガムはブルーベリー味が好きだ。

街を行く女の子たちはみんな着飾ってとても素敵だ。可愛くて綺麗でカモミールみたいないい匂いがする。僕が触ったら消えちゃうんじゃないかってくらい繊細で、あんな子たちに笑いかけられたらきっと一日中いい気分でいられる。花なんかよりずっと素敵な生き物だ。

 

小学生の頃、こっちゃんというおしゃれな女の子が昼休みにみんなを集めて、少女雑誌の後ろについている広告の通販代行をやっていた。手数料もかからず良心的な代行業だ。みんなはプラスチックで出来たキラキラの指輪やネックレス、ヘアピンを吟味し、こっちゃんへ「0156番のピンク頼んで!」とお願いする。次の週の日曜日にこっちゃんの住むマンションへ行ってお金と品物を交換する。僕も一度ついて行ったことがあるけれど、女の子たちがアクセサリーを手にしてうっとりするのを眺めているのは、悪くなかった。

彼女たちはこっちゃんのお母さんが使っている鏡台の前に代わる代わる立ち、アクセサリーを身につけて少しはにかみ、その格好のまま帰った。こっちゃんがピンクのリップや剥がせるマネキュアを彼女たちに塗ってあげたりすることもあったようだ。彼女は僕にもそれを勧めてくれたが、僕は恥ずかしくて断ってしまった。

 

その頃僕はカタツムリの殻を集めるのに飽きていて、家の絵を描いていた。立方体を描く方法を発見し、それを駆使して理想の家を何枚も描いた。絵の具もよく食べた。やはり青い絵の具はうまかった。しかし僕にも彼女たちと同様に美意識はあり、電車を見に行くときは必ず黄緑色のTシャツを着た。キハ48旧新潟色には黄緑色が一番似合うと思っていたからだ。

 

アルバイトをするようになってから、社長の奥さんに化粧をしろと口を酸っぱくして言われた。僕は途方にくれて友だちの女の子に何を買えばいいか尋ねると、彼女はこっちゃんのようにワクワクした様子で僕にあれこれ教えてくれた。ファンデーションの前には保湿をして下地を塗るの、アイメイクとチークは控えめにして野暮ったく見えるから、リップはピンクより赤いのが似合うね、頬杖をつかないで!それと眉をしかめないでね…

代わりに何かを彼女に教えてあげたかったけれど、僕は彼女にとって不必要な経験しか持っていなかった。家の描き方や絵の具の味なんて、素敵な女の子には剥がしたフェイスパックよりも価値のないものなんだ。結局彼女にはクレープを奢ることにした。彼女はミックスベリーのクレープを食べ、僕はハムとチーズのクレープを食べた。

 

今日薬局でそれらのことを思い出し、僕はあれからこっちゃんのような女の子たちに何か差し出せるものを手に入れただろうかと汚いクローゼットをひっくり返してみたけれど、やはり何もなかった。それどころかどこかのバーが作ったわけのわからないTシャツを着て伸びた髪も乾かさず煙草を吸っている。恩知らず。

 

実際、僕が今更おしゃれになったら誰かに笑われてしまうんじゃないかと考えたりする。正直に言えばおしゃれになれる気がしない。僕にとってそれは双子の喧嘩の理由やモグラの昼寝くらい外側の話に思える。それに向いていない。おしゃれをして出席した姉の結婚式の後、僕は2日も蕁麻疹に悩まされたし、靴擦れと謎の股関節の痛みに生活が困難になった。それに、腹がキツくて料理もろくに食べられなかったし、何度か背中の筋肉がつった。けれどやはり、先輩や親族が綺麗な服を着て華やかな化粧を施しているのを眺めるのは悪くなかった。みんなとても美しかった。

月や星は美しいけど、僕は月や星になりたいと思ったことは一度もない。もちろんキハ48になりたいと思ったこともない。僕はその美しいもののためにそれを台無しにしないようなポーズをとるので精一杯だ。

 

実は、一応こだわりはある。できたら肋骨に擦れない服がいいし、ウエストはなんであれ細くなっているべきだと思う。だからムームーなんかは着ない。それ以外はなんでもいい。

 

だけどどんな言い訳を考えたところで事実僕は女で、そういう形を求められる状況も多い。変な意地を張っていないで、こっちゃんに剥がせるマネキュアを塗ってもらえば良かったのだ。ミックスベリーのクレープを食べるべきなのだ。僕は実のところ恥ずかしくなければそれくらい喜んで出来る。太ったパグがリボンを付けていても誰も笑わない。通り過ぎるだけじゃないか。僕ってほんとうぬぼれ屋だね。だけどもしこっちゃんとすれ違う日が来たら、彼女に眉をしかめさせない格好をしていたい。僕のせいで、彼女の眉間のファンデーションがよれないように。

 

 

 

 

4/16 珈琲とずれた時計の直し方について

 

 

僕は、喫茶店には必ずどの席からでも見えるように時計が置いてあるべきだと思っている。どんな時計でも構わないけれど、出来たら壁掛けの時計で2分くらい遅れているといい。

なぜなら喫茶店という場所は時間を忘れて過ごすためにあるのではなく、ずれた時間を調節するためにあると僕は考えるからだ。

 

昔アンディー・ウォーホルのバナナが描かれた腕時計を恋人にプレゼントしたことがあるけれど、長く使っているうちにいくら電池を交換しても必ず狂ってしまうようになった。しかしながら腕時計は特に、正確な時間を伝えることだけが仕事じゃない。ステータスやセンスを表すこともあるし、優れたバナナのデザインを持ち歩くのにも向いている。けれど決まってずれてしまうようなら一度修理に出すべきだろう。僕たちの好きなラジオ番組はオープニングトークが時々とても面白いから、聞き逃してしまうのは損なことだ。

 

St.GIGAというラジオ番組についての曲を書いたことがある。

 

時間というものは確かに存在しているが、時計の示す数字は、水頭症の彼が言っていたように、定義に他ならない。それはいつでも変わらず、日が長くなっても、潮が満ちても、一定のリズムを刻む使命がある。僕らの生活や感覚とは無関係に規則正しい働きをする。その為に時々僕らは時計の示す時間と実際に身体を吹き抜けていく時間のあいだにずれを感じる。ずれたままいるのもいいけれど、社会では大抵の場合、時計の示す時間によって約束を決めたりする。そして僕たちはその時間と身体の感覚を擦り合わせて生活することで信頼や安心を得ている。

僕たちは時折、非常識な夜を与えられる。ある女の子はそれを魔法と呼んでいたけれど、僕たちにとっては呪いと呼んでもいいものかもしれない。浦島太郎になってしまったような気分にさせる夜。竜宮城で僕たちの身体を吹き抜けていく時間は天女の羽衣のように静かにうねり、ねじれ、ひるがえっているので、浜に戻るとまるで訳がわからなくなっている。アスファルトを踏む革靴の音の中で軌道を外れた人工衛星のように悲しく浮かんでいる。

僕たちはそれを何度も経験するうち、ついにアスファルト上の軌道へ戻ることのできるシステムを開発した。起きたら風呂に入り、歩いて15分ほどの喫茶店へ行き、熱い珈琲を飲む。これによって僕たちの身体は、その茶ばんだ喫茶店の壁に掛けられた時計が示す時間に少しずつ近づいていくことができる。おそらく80回以上の実験結果から言えば、成功率は100%だ。

しかし残念なことにこの街には僕らが何度も通った喫茶店はない。そこでアパートの狭い部屋で珈琲を淹れて飲むことにした。成功率は60%といったところだけど、無いよりはいい。しかしこれは珈琲自体の効力ではなく、僕らの構築したシステムがある上でのツールの記憶が発動しているに過ぎない。これが示すのは、かつていた軌道上へ戻るための儀式を刷り込んでおくことが重要だ、ということだと思う。

 

しかし、僕たちには壁掛けの時計が示す時間の他に、同じように揺るぎないシンクロニシティを生む不安定な時間の流れを持っている。それは月の満ち欠けや潮の満ち引きのようにそれぞれのリズムを持ち、St.GIGAが採用していたタイド・テーブルのように進行していく。時々、「春の暖かい日でもっとも潮が満ちていてトビウオが浅瀬へやってくる夜」のように僕らにとっては素敵な時間を生んだりする。

僕たちの中にもそれぞれタイド・テーブルがあり、僕が呼びたい名前を呼んだ時君も僕を呼んでくれるリズムの重なりが、どこかで生まれることもある。それは僕らにとって、とても素敵な時間を生んだりする。

 

君が腕のバナナを見る、僕が珈琲を淹れる、彼がアスファルトを踏み鳴らす、彼女が魔法の夜に不思議な気持ちになる、異なる軌道を描く僕たちの時間が、喫茶店の壁時計の上で重なり合う瞬間が一度でも多いといい。今までよりもっと多いといい。僕は儀式を続ける。正しいリズムで君のこと呼べたらなと思う。