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オーケー、ボーイズ&ガールズ

11/4

 

引越しをすることになった。

この街には6年くらい住んだ。

 

僕が特に気に入っているのは、近所に暮らしている足の悪い老人と、太ったビーグル犬だ。

彼らはお互いを想い合って歩くのでとても遅い。

時々太ったビーグル犬が一人きりで散歩に出ている。いつもは嗅げない枯れた草の匂いやいつもは出来ない駆け足であちこち行っているのを見かける。

 

もう1人ボケ老人がいる。前のめりで、つま先を地面に擦るようにしてうろついている。彼の部屋は朝も夜も電気が付いていて、カーテンのない窓から古い時計や何枚も重ねて干してある洗濯物が見える。洗濯しているかどうかはわからないけど。昔は妻が居たんだろうか。彼も眠れないほど誰かに恋い焦がれたりしたんだろうか。サッカーボールを追いかけたり、お母さんに甘えたりしたんだろうか。想像がつかないな。それくらい彼って灰色の肌で目が虚で、すっかり老いてしまっている。

一度だけ真夜中にコンビニへ行った時、終バスのとっくに終わったバス停のベンチに、大きな荷物を抱えて座る彼を見た。

どこへ行くつもりだったんだろう。

あんなふうになっても、まだどこかへ行けると思うんだろうか。ここじゃないならどこでもいいと言ったって、それは旅に違いないんだから…

 

掃除をしていると、映画館のアルバイトを辞める時にみんなが書いてくれた色紙が出てきた。

僕はそれをまともに読んだことがなかったから、初めて読んだ。みんな僕のことを好きなようだったし、何かやってくれそうと思っているみたいだった。何か、日常的じゃない小さな興奮を僕に期待しているようだった。

その頃の僕は多分口が達者だったんだろうな。実際のところ僕はその頃も今も何もしていないし、自分に何か特別なことが出来るとは思えない。だからみんなの期待には応えられそうにないし、多分、たとえ応えられたって、彼らは彼らの生活に一生懸命になっていて、ああ、あの時の子?なんかやりそうな感じだったけど本当にやるとはなぁ!ねぇ来週飯でも行かない?鉄板焼き屋どう?服に匂いがつくだってそんなこと気にしなくたっていいよ、食ったら帰るだけなんだから…

 

静かで良い街だった。丘の一番高いところにあるアパートだから、夜景が綺麗だったけれど、僕は嫌味な感じがして心からは好きになれなかった。時々いいなって思うけど、高層マンションを見上げて一番上にはどんな人が住んでるんだろうと考える。やっぱり嫌味な奴だと思う。神様についてどう思うか聞いてみたいな。強く信じてるか、全く考えたことがないかの二択だと思うよ。ちなみに僕は神様のこと好きだよ。

 

猫がもう1匹飼えたなら、漱石は寂しくないな。広い部屋だから喧嘩したって平気だよ。

 

 

 

10/7

 

世界の終わりのあと、僕は電話ボックスにいる。

 

ウェルベックの『ある島の可能性』という本の一文なんだけど、かなりキレてる文章だと思う。さいこーにイカしてる。ヤバイよね。

いい歌書いてるシンガーとか、夜明けにそんな気分になったりするんだろうと思う。

 

先日僕は間抜けにも階段で転んで、頭を強く打ってしまって3針縫った。

頭を打ってしばらくうずくまっていたのだけど、その間僕は目の前にあるものや自分を認識できるかどうかばかり考えていた。

脳みその方はおそらく突然のダメージを処理することで精一杯だったようで、落ち着くまでに僕はこの世界でひとつも理解できることが無かった。

処理が追いついた頃、血というものが少し粘度のある液体だということに気がついた。思ったよりも濃厚な手触りだった。多分、フレンチレストランでスープとして出されたら、舌触りに感動するほどの代物だ。

 

それから病院へ行く間、僕はいつにも増して目に映るもの全てが疑わしかった。

目の捉えている物質のあらゆるものが嘘だ。僕たちに光が無ければ、それは無いものだ。目の見えない人にはどういう世界があるのか僕はまだ知らないけれど、少なくとも僕にはそうだ。

焦点を合わせて見つめても、その青い看板の文字がただの形でしか無い。僕たちは光の当たったものに意味をつけて、それを在るものとして生きているに過ぎない。そして在るものというのは僕たちの生を無条件で肯定する認識だ。

 

だから僕が死んだら、あとは何もない。目もなければ光もなく、脳もなくなってしまうんだから…

そして僕は病院で、自分の輪切りになった脳みその映像をコンピューターの画面で確認した。

それは最高にキュートだった。このおかしな形をした脂肪の中で様々な電気信号が行き来し、僕を僕たらしめている…身体だけあっても僕じゃないね、僕というものは、この脳みそに全てある。壊れちゃわなくて本当に良かった。

たとえば僕の可愛い脳みそが全部ダメになっても、君が僕を好きでいてくれるとしたら、それは脳みそが働いていた頃の僕の幻影を、身体に見ているに過ぎない。そして僕はそんな君を好きだと思えないなら無いも同じだと思う。

そんな時君は電話ボックスで、どこにつながるかも知れない、繋がっていないかもしれない受話器に向かって何か話したりするんだろう。

あー、えーっと、調子はどう?聞こえてるかな…

 

脳みその方は、思ったよりもシワが無かった。シワのある方が表面積が広いから処理速度が速いんだろうか?頭蓋骨にみっちり入っていた。可愛い脳みそ。僕の可愛い脳みそちゃん…

 

何年か前、夜に水頭症の男と話すのにハマっていたけれど、彼の脳みそは一体どうなっているんだろう。今思えば芸のないつまらない奴だったが、僕はその頃から脳みそに興味があったのでそれは面白い経験だった。彼もまた、世界の終わりでたまたま繋がる電話番号を見つけ、僕がいるかいないかも分からずに語り続けていたのだ。

その分、身体があるというのはいいね。僕を、正しくなくても認識して話しかけ、僕は相槌を打つことができる…触ったら居ることが分かる。触るまでは分からない時代が来るかも知れないけれど。

僕は頭を打って、少しだけ以前より目に見えるものが信じられなくなっただけで済んだ。本当に良かった。死んだらなんにもなくなってしまう。この可愛い脳みそも灰になってしまう。

いつか未来に、死んだ時のために若い身体のコピーを作っておいて、そこに以前の脳みそをぶち込むという延命方なんかが出来たらどんな世界になるかな、と考えて、そうだそれが『ある島の可能性』に書いてあったんだと思い出した。多分僕もずっと、受話器を離すことが出来ずにいるんだろうな。どんなに長く生きたってね。

 

 

8/15

 

ここのところ嘘ばっか書いてたので今日は事実だけを書く試みをしようと思う。

先日、飼っている雄猫を何の気なしに散歩へ出したら、運悪く近所に住む雌の野良猫と鉢合わせてしまった。彼女はスカした風で我が愛猫に一瞥をくれただけだったが、こっちの雄猫は雌の猫なんか生まれて初めて見たものだから、我を忘れてひどく興奮し始めた。

もう、それから3日も経つが彼は一日中けたたましく鳴き喚いて、おそらく彼女を呼んでいるんだろうけれど、僕は近所の人間がうるさい猫と僕を殺しにくるんじゃないかと肝をつぶしている。

興奮し続ける雄猫をなだめる方法はこの世にはない。明日、病院へ行って去勢手術を受ける算段をつけようと思う。

しかしながらその間まで鳴かせっぱなしではいよいよ隣人がノイローゼになりかねないので、僕は猫がけたたましい鳴声をあげるたびに抱きかかえてあやし、それもいきなり飛び出すものだから腕にいくつも傷を作った。

その他にも、風呂のシャワーを出しっ放しにしたり、良いステレオで環境音を聞かせてやったらしている。効果はあるが持って20分というところだ。僕は昼夜問わずそんなことばかり繰り返していてうまく眠れないものだから、身体をむくませながらイラついている。

どうしようもないときは猫用キャリーバッグに彼を詰め込んで、落ち着くまで布を被せている。それでも入れっぱなしにはできないから、これも持って2.30分という感じ。

彼は今5歳くらい(拾ったのでいつ生まれたかは知らない)だから、人間で言えばそろそろ結婚しても良い歳だ。成人したてくらいか?

うるさくて乱暴な猫に腹を立てても仕方がないし、そもそも生き物の欲情という全く正常な行為に僕が太刀打ちできるはずもなく、去勢という理に反したことでしか共生出来ないことを申し訳なく思う。出来れば、したくなかったけれど、あの時彼女に出会わなければこうもならなかったとは思うけれど…今も彼を抱きかかえながら日記を書いている。

しかしやはり、野生で生きてきた雌猫は貫禄がある。贔屓目もあるけれどウチの猫はなかなか、生命力に溢れているし、毛並みもいいし、何より男前である。けれど彼女にとってみれば、外の世界をこれっぽっちも知らない、温室育ちのモヤシ猫に違いないのだ。モヤシ猫。

だが、そのモヤシ猫も彼女と出会ってからというもの、水もあまり怖がらなくなったし、僕の言うこともサッパリ聞かなくなったし、マタタビにさえ興味を示さなくなった。恋は人間だけでなくモヤシ猫さえも変えてしまう魔法らしい。恋をした彼にはもうすっかり参ってしまったけれど、ほんと、降参、けれど、僕たちの理性は素晴らしいものだなと文化的な人間である僕はひとり深く頷いている。

問題は、モヤシ猫が本当に彼女だけに恋をしたのか、それとも始めに目に付いたのが彼女だったから恋をしたのか、ということだ。おそらく前者だとは思うけれど、そうだとしたらまた次にすれ違った雌猫に彼は襲いかかるつもりだろうか?僕が育てたのだから、せめて一途であってほしいと人間の僕は思う。もちろんそんなことはモヤシ猫には関係のない話である。モヤシ猫どころか、仮に僕に人間の子どもがいたとしても、彼あるいは彼女には関係のない話である。やりきれないが、僕じゃないんだから仕方ない。

そういえば、今思い出したけれど、大学に通っていたころガラス張りの研究室で、僕がピシピシ音を立てながら忍び足で歩いていると不意に、ニキビ面の女の子が「あなたってそうやって、人は人って割り切り過ぎるから教師に向いてないと思うの」と言われたことがあった。僕は怯えて、「そうか、大丈夫、僕は先生にはなれないから…」と言い訳をして逃げ帰った。その子からは前にも協調性がないと叱られていたので、僕のそういう性質か、あるいは僕自身がよほど気に食わなかったんだと思う。そして僕はやはりそれを仕方ないことだと思っていた。そういうとこだよな…。

でも見てみなよこの猫。協調性どころか道徳心もないぜ。猫だもんな!当たり前か!ウケる

それと僕と暮らすモヤシ猫は、僕に人間的優しさを与えてくれたことは一度もない。それどころか猫的優しさを与えてくれたこともない。猫的優しさとは多分グルーミングとかだろうと思う。僕は彼を拾ってからほとんど下人のように彼の世話をしているからね…。血縁でも雇主でもないのに不思議な話だけれど。猫だからというだけで、かわいい、申し訳ない、という気持ちで甲斐甲斐しく世話をするものだからモヤシ猫の方もいよいよつけあがったのだろうか。つけあがるなんていうのは人間だけの話なんだろうか。それで飽き足らず僕はキャットタワーの購入を考えている。新しい爪研ぎも買おうとしている。野生で生きられず果てには去勢させられるんだ、それくらいじゃ足りないだろうがせめてもの罪償い…もちろん猫には関係ない話である。全ては僕の傲慢だ。このうるさいホカホカの生き物の一生を、僕の好きにするっていうんだからおこがましいよな。拾わない方が良かっただろうか。カラスにつつかれて死んだ方が…こればかりは考えても分からない。でも多分そうなんだろう。

参ったよほんとに。でもかわいい。とてもかわいい。腕の傷は痛いが、目に入れるのは痛くない。サッパリ痛くない。

 

 

 

8/14

 

また、たとえばの話なんだけれど、この町に大きな脳みそがあって僕たちがその意思に身を委ねる選択をしたとしたら、まず始めにそれがひとつの自由な意思選択になる。それで完全な自己放棄、というのも僕の選択であり、完全でない自己放棄という選択をすることもできる。大きな脳みその意思に従う、というのはそれがなんであれ、僕の自由意思によってマゾヒズムを享受するに過ぎない。

大きな脳みそが突然、それまでの穏やかで意味ありげな行為に反して非道徳的なことを僕にさせようとするとき、僕はあるいはそれに気がつかないかもしれない。それは盲信とか心酔の働きによってではなく、結果的にナルシズムによるものかもしれない。僕には、その大きな脳みそのせいにできるほど自分を欺く器用さがない。僕は僕を裏切り者にしたくないあまり、何も聞こえない耳を頼るのだ。

たとえばこの川の先には必ず海があると教えられ、川に飛び込んだナメクジかなんかが、濁流に飲まれ岩にぶつかりながらその旅をやめないなら、それはナメクジの意思であり、海に辿り着きその塩で溶けた時ナメクジは、本当にその旅路が彼の為にあったと彼が信じるなら、「海がしょっぱいなんて聞いてない!死んじまう!」なんて怒ったりしないんだ。「なるほど、これが海か」と口の中で呟きながら溶けてくわけなんだ。そういう心づもりをして、僕は信じられるものの全てを信じている。

 

 

8/7

 

最近は色んなことを色んな人がいるな、で済ませているのでどんどんバカになっている感じがする。バカになっているせいか、何を見ても面白いし、気に入らないことがあまりない。このままシンクの水垢や猫のクソにも感動できるようになりたい。

 

昨日見たテレビ番組で、夢の話をする女が嫌いという話があったのだけれど、僕は夢の話が大好きで色んな人に話してとせがんでいるし、時々みんなに話しているので、その中の誰かには、あるいは全員に嫌われているのだろうか。

存在してるものはいいよね、好きとか嫌いとかあるから。そういえばミヒャエル・エンデはてしない物語でも、主人公のバスチアンは名前をつける能力が彼を英雄たらしめたし、ナウシカ巨神兵にオーマと名付けたために彼は人格を持ったりした。そして僕は産む予定のない子どもの名前を何年も前から考え続けている。

我々にとって存在するものの全ては名前か、名前に相当するものをもってる。チーズとハチミツのピザはクワトロフォルマッジというらしいし、黒くてモヤモヤしたもの、とかウサギみたいな耳とか、夏の前の雨の匂いとか。名前のないやつでさえ必要があれば名前は与えられる。ジェーン・ドゥのように。

でも僕は割と球体幻想を間に受けているタチだから、眼球だけほじくり出して地面においてみたって、その目は何かを写していると考える。ただ僕らは去勢された目をかさぶたみたいな脳みそにひっつけて世の中のことを喋るしか出来ないから、名前というものが持つ価値を存在に与えることでしか認識できない。そして認識と言葉が世界を構築しているのは、人間である限り如何ともしがたい。陸に住むものが水の中で息ができないのと同じだ。そして存在のシグナルは真夜中の灯台のように、船が海へでなくても、音もなく光を投げ続けるものだ。つまり、眠れない女の子が窓からそれをみて安心するかもしれないし、近所に住む銀行員は遮光カーテンをびっちり締めきって恨み言を口にするかもしれない。だれかがなんかしらは言う。そして夢の話が好きな僕も、嫌われたりする。嫌われるのはふつうにいやだけど、それも僕という存在のシグナルだ。

 

この間伊藤くんがナショナリズムについて話していたけれど、国家に限った話でもない。あらゆるものは幻想だ。だから僕はサイバーパンクとかエスペラントとか人類補完計画とか好きなんだけれど、実はその中でもカフェオレが一番好きなんだ。だからなんというか、そもそもヴァーサスの関係をつくるような個々の強い意志そのものを僕は危険思想に感じるくらい、曖昧に生きてる。だって街中によく切れる刀が立ってたら腑抜けの僕なんかすぐ死ぬじゃん。しかも絶対的な正しさって、たとえばそれが僕にとって正しくても、暴力じみてる。激しい力で統率される。正しさを盾に怒りが許される。許された怒りで否定された人たちがまた怒る。おこりんぼ大陸。おこりんぼの星。原始的な宇宙人の住む、おこりんぼの星。アイデンティティがなんにせよ、確固たる意志があると必ず戦わなきゃならない。それ以外が認められない限りは。ブラックか、ミルクか、刀を持たない僕は斬られるのを待つか、刀と平行に歩くしかない。もちろん、刀を手に入れるという選択肢もあるけれど、そうなるとマグカップをティースプーンで混ぜることが叶わない。僕はカフェオレが好きだけど、マグカップの底に溶け残った砂糖は嫌いだ。損した気分になる。だから甘いカフェオレを飲んでいる間は、演説の上手い方に乗ることにしている。騙されるなら良い物語の方がいい。晴れた春の昼過ぎみたいに寝ぼけた頭で、できれば生き抜いて死にたい。

エスペラントというバベルの塔建設は結局失敗してしまったけれど、神になりたがる我々の健気が、あるいは傲慢が、僕はとてもラブリーだと思う。言語統制された世界でもプロポーズやラジオのオープニングトークや悪口なんかは結局それぞれなんだろう。いや、だけど、第1世代はたとえば、「残された2つのグラスの跡」とか「木の隙間から溢れる光」とか「暗く静かな森に1人でいる感じ」をひとことで表す言葉がなくなることについてはヤキモキするだろうな。でもまあ人類は言語に優れた生き物だから新しい表現が生まれたりするんだろう。しかしこれも多分現実化するとなればブラックかミルクかになるのかな。管理されるために同じ言葉と思想を強制されるだけ。人類が神になれない大きな理由はユーモアが足りないからだと思うよマジで。

いやでもね、分けすぎとは思うよやっぱ。病名とかも。名前持ちすぎるとモーツァルトみたいになるよ。全部名前っぽいもん。ヨハンネス・クリュソストムス・ウォルフガングス・テオフィルス・モザルト。モザルトて。モーツァルトじゃねえのかよ。アマデウスは?それに比べてルート・ヴィッヒ・ヴァン・ヴェートーベン。ヴェートーベンがめっちゃ名前っぽいじゃん。ルート・ヴィッヒ・ヴァンがもう序章に過ぎない感じする。ホップステップ的な感じ。とにかく名前持ちすぎるとそれに自我を頼るようになる。囚人服を着続ければ警官に怯えるようになる。だけど、セーターだって寒けりゃ夏でも着るよ…僕には解き方が分からない問題ばっかなんだ。

黙ってカフェオレを飲むしかすることがない。ねぼけた僕は待ってる。シンクの水垢や猫のクソに感動しながら、もっと素晴らしい演説を期待している。無責任で申し訳なく思うけれど、ジェーン・ドゥ、素敵な世界になるといいね。

 

 

 

7/2

 

長い間土の中にいた僕らの友だちが初めて話す声を、今日僕は聞いたけど、それよりも1日早く僕たちは夏をやったので得意な気分になった。

 

昨日、友だちが運転する車の窓から夏に咲く花が見えた。僕が、好きな花だ、と言ったら二人は「タチアオイ?」と声を揃えて言った。僕はこんなに幸せなことがあるか?と考えた。

いつだってへどもどつかえながら話している。好きな友だちには、伝わらなくていいなんて思えない。欲深いだろうか。分からなくていいなんて思えない。

 

僕たちにとって特別な、素敵な女の子が一緒に青い車に乗っていて、「私って何者にもなれないで、誰かと結婚して、子どもを産んで、それだけの人生なんですよきっと…」と僕らに話す。僕たちは参る。君はもう誰ともまるで違うスペシャルな女の子なのに、そんなことを考えていたなんて!僕は前のSAでソフトクリームを食べたせいで腹を冷やし、夕立みたいに突然の便意に襲われた。運転してくれている友だちが速やかに次のSAへ車を滑らせ僕はこんなに大事な話の途中にもかかわらずトイレへ駆け込む羽目になった。僕が蒸し暑い個室で冷や汗をかいている間、みんなどんな言葉を彼女にかけたんだろう。ソフトクリームを食べた自分を責めながら彼女にかける言葉を探したけれど、水を流すレバーを探している間に全て忘れてしまった。車に戻ると話は終わっていた。彼女の着ていた水色のワンピースがとても似合っていることにその時気がついた。

 

クーラーの調子が悪く、車内がピザ窯くらい暑くなって汗だくになった。窓からポップコーンみたいな雲が見えるたびに、あれは入道雲?と伊藤くんに尋ね、伊藤くんは、あれは違う、まだ赤ちゃん、と言った。やはり夏はまだ来ていないんだ!

 

たくさんの人に一度に初めて会ったので、やはりへどもどしながら挨拶や自己紹介をした。僕は200円でピアスを買い、さっそく1つ無くしてしまった。水滴に紫陽花の雄しべが2つ落っこちているようなデザインだ。僕の耳には左しか穴が開いていないからちょうどよかった。7年前、意気地が無くて両方開けられなかったままだ。別に困らない。意気地なんか無くてもね。苦しみに耐えるために必要なのは幸福を強く夢見る能力だと先生は言った。

 

7年前くらい、僕は足の指にキラキラした青いペディキュアを塗るのが好きだったと思う。自分の足じゃないみたいだった。僕は今の自分じゃない自分に憧れていたのかもしれない。その時はまだ、鏡だってマトモに使えていた気がする。髪を梳かしたりリップを塗ったり。憧れがあるというのは、自分のいるところが分かっていい。

 

入道雲が僕らの首が痛くなるほど沸き立つワケを彼女は知っているだろうか。笑顔の素敵な彼女が眉をしかめて絞り出す言葉を僕らは分かろうとする。彼女は変わろうとする。僕たちは多分何度でも新しい君を分かろうする。僕たちはあのヘンテコな雲が馬鹿みたいに膨らんでいくことをこんなにも待ち望んでいる。何者でもない僕たちの夏は、いつでも前とは違うんだ。

 

 

6/12

 

また扁桃炎になってる。扁桃炎になる度僕は死ぬことを身近に感じて憂鬱になる。

最近、二枚の同じ皿の上にそれぞれ、石鹸とカシミヤの靴下を乗せてとやかく言うヤツが多過ぎる。そもそもどっちも食えない。どっちもグレープフルーツ風味の醤油ソースなんか合わない。馬鹿げてる。もしかして僕のこと騙そうとしてるの?冗談なのかな。石鹸はお風呂で身体を洗うときや、お母さんがクローゼットの香り付けにガーゼに包んで入れるもので、カシミヤの靴下はおばあちゃんが寝るときに履く。おんなじ皿に上げて、食おうなんてどうかしてるよ…。欲張りすぎるね、少し。

僕はアナナスパイが好きだ。暑くなったらもっと美味しい。もしかして、食べてみたら石鹸やカシミヤの靴下もうまいのか?そんなわけない。ダイエットにはいいかもしれないけど、どちらにしろ僕は扁桃炎だから、柔らかいうどん以外のものは食べられない。噛まなくて済む代わりに考えなくなる。考えないから僕はイラついてこんな嫌味を書く。それって、つまらないね…。

 

僕が扁桃腺を手術で取ることを考えていると話すと「凍らせて取るのよ、そしたら日帰りでいいんだから」と児玉さんは言う。椅子に座って口を開けるだけで、医者が扁桃腺を凍らせて壊死させてくれる。簡単な手術。そんなまさか、と僕が驚くと、もちろんその後は痛むけど、今はもう何ともないのよ、と言う。

 

もちろんその後は痛むけど、今はもう何ともないのよ。

 

いろんな青春映画を観たけれど、その終わりを象徴するのは新しい家庭だ。ワルかったアイツも嫁をもらって子どもがいる。あんなことがあったけれど結局今は別の幸せで上手くやっている。スタンドバイミーオチ。時々青春の中で死ぬ奴もいる。イカしてる。僕らは人生の一等瑞々しい時間を過ぎた。これからやってくるどんな素晴らしい幸福も、実はあの野蛮な興奮で肉体の限りを激発させる、エネルギーに満ち満ちた暴力的な魂の震えを感じることには勝らない。

我々はあの時死ななければ、それからずっと、凪を求め凪に暮らすのだ。そして言う。もちろんその後は痛むけど、今はもう何ともないのよ。

 

その後やって来た佐藤さんに、児玉さんが扁桃腺を壊死させた話をする。すると佐藤さんは、やっぱ子ども産むのが一番痛いらしいから、それ以外どうってことないのかもよ、母は強し、と言う。扁桃腺を凍らせて壊死させるよりも痛いことがあるなんて僕には信じられない。だって、白い斑点が出たらもうずっと息するのだって痛いんだよ。一日中泣いてたって飽きないくらいなんだ。やっぱ、そんな痛い思いして産んでもらったなら毎日ハッピーに生きた方がいいっすね、と佐藤さんに言うと、そうだよなー早くPS4買えよ、モンハンしよーぜ、と彼女は僕の肩を叩く。

 

僕は未だに青春の痛みが耐え難く、何度も線香を上げるが未だに経を読み終えない。漠然とその影をさまよう日もある。僕のその物語に含まれる彼女たちはとっくに結婚し子どももいる。スタンドバイミーオチ。僕らの思い出は可愛いお菓子の缶にきちんと収まっているんだろう。僕だけが、痛みに、痛みの意味も分からなくなった今も頭を抱えていると思うと、滑稽で気が滅入る。

 

椅子に座って麻酔もせずに凍らせて取るというのは一体どんな感じなんだろう。めちゃくちゃ怖いし痛そう。だけどどんな痛みもいつかは何ともなくなるんだ。いつかはね。今は扁桃炎が憎くて仕方ないけれど。早く液体をゴクゴク飲みたい。更に、民間療法ですり潰した仙人草を手首の内側に貼る、という治療法もあるようだけど、一体どういう仕組み?なんかそっちの方が怖いな…治るならなんだってしたいけど、出来たらこれ以上滑稽にならない方法がいいな。