ae.ao

オーケー、ボーイズ&ガールズ

5/20 犬の話

 

「メスの犬はシナモンロールが好きか」と砂糖の研究をしている博士に尋ねたところ、それは解明されていない、と博士は首を横に振った。

 

ロシアの宇宙基地はいつも捨て犬募集の張り紙があり、表向きはクドリャフカに次ぐ宇宙犬の育成であるが、本当のところは違う。

捨て犬たちは基地に着いてすぐ風呂に入れられ、美味しいビーツを見分けられるかどうかの試験を受ける。美味しいビーツが見分けられる犬はそのままキッチンで働き、そうでない犬は超能力開発チームに送られる。超能力開発チームでは人間の超能力を引き出すためにあらゆる実験が行われているが、その中の1つ「ワンちゃん がぶり」の仕事に就く。高い台の上に置かれた美味しいおやつを手を使わず念力でワンちゃんに与えるという実験である。これは以前行われていた「テーブルの上のボールを念力で転がす」という方法よりも2.7倍の成果を出している。

 

犬と猿を仲良くさせるために必要なことは、全く新しい物語である。

 

小学校の近くの新聞屋で飼われていたマルコという名前の犬が死んだ時、クラスの全員でマルコに向けて慈しみ溢れる寄せ書きを書いた。臭くて痩せた犬だったが、目のキラキラした可愛いヤツだった。新聞屋のオヤジに寄せ書きを渡すと、ウチの犬は幸せもんだなと言った。同行した教師が「みんな本当にマルコちゃんのこと好きでした」としんみりした声で言うと、オヤジは「犬に玉ねぎ食わせちゃダメだって、学校じゃ習わねぇもんな」と言ってドアを閉めた。沈黙。何気なく振り返ると表札に「内藤隆二」に並んで「丸子」と表記されている。あぁオヤジがマルコって呼んでたの、奥さんか。犬の名前じゃなかったんだ。

 

 

 

 

 

4/27

 
こうやってこのままクサい自我を失ったフリして生きていったら、最終的にどんな人間になるんだろう。
僕にとって先生は肯定の象徴だけど、先生にとっての僕もまた肯定の象徴なんだろうと思う。だって僕が先生を先生たらしめてる門下生なんだから。門下生のいない先生は多分先生じゃないし、先生のいない門下生なんていないもん。
 
そう考えると、僕を僕たらしめている外的要因を全く排除した時、自分を素直に肯定できないゆがんだナルシズムだけが残って僕はきっと僕自身に絶望するだろう。
 

4/23

 
途方もない、あるいは漠然とした、もしくは途方もないうえに漠然としている喪失感に出会ったこともまだ一度もない。
だけど思い返せば信じられないくらいたくさんのものを今までに失ってきたし、今手にしているものだってこの先ずっとあるのかと言われたら、なんとも言えない。そもそも本当に手にしているのかさえわからない。
多分何かのきっかけがあって、とかではなくある日ふと気付くんだろうと思う。そういう日に備えて自分は空っぽだと言い聞かせて生きている。
 
心に穴があく、みたいな表現がピンとこない。
どんなに虚しい気持ちになっても、そこを埋めるように悪いやつや無気力的な肯定感がすぐに集まってきて止血してくれる。心には表皮があって、表皮には様々なものがへばりついている。いいことや悪いことや心底感動したことや心底失望したこととか。だけどその内側には何にもないんだ。何にも感じない何にも生み出さない空間があって、心の表皮はそれを大事に守り続けてる。「何もない」が満ち満ちている。表皮が薄くなればなるほどそのダークマターじみたものが露呈してくるだけなんじゃないか。
 
なぜそんなものを大事に守り続けてるのかってことの答えは多分すごく単純なことなんだと思う。今はまだよくわかんないけど。愛や勇気、宗教や憎悪そんなものたちが微塵も入り込む隙のない完全で完璧な、容赦ない空洞。僕たちの希望。アイデンティティの親。
 
いつからかでくの坊みたいに突っ立ってる塔の周りに頑丈な塀を作って、その外で狼を殺す仕事をしている。狼は優しくて賢い動物だから。
そうしている間僕は健康であり続ける。
 
 
 
 

4/22


真実はパチンコ玉のように事実を歪んで映している。誰にとっても必ず事実ほどつじつまが合わない。誰かと同じパチンコ玉を見つめても化け物のように奇妙にうねった自分が見える。
創作という行為において大袈裟に言って絶望と希望があるとしたら、それは「誰とも分かり合えない」絶望と「誰かと分かり合える」希望だ。孤独が共感を呼び続ける。
フィクションでしか真実は語られないと僕の先生はよく言っていたけど、今は全くその通りだと思う。多くの場合言葉はいつも正しくは遣われない。25年生きていた今でも、心の中のことをそのまますっきり言葉に出来たことがない。

海を見て感動したことはない。でももし今この地球上で1番チャーミングな女の子が現れて僕に「海を見て泣いちゃうくらい感動したこと、わかってほしい」と言ったらどうしたらいいんだろう。彼女だけじゃなく誰しもがいつだって誰かに何かをわかってほしいんだ。
たとえば彼女がその時見た海の美しさを丁寧に話してくれたとしても、彼女の泣いちゃうくらいの感動は僕には理解できない。この件に関して彼女は永遠にひとりぼっちだ。

最近はどこからか強い風が吹き上げる深い穴に向かって話を続けている。風が邪魔をしてなかなか、穴の中に言葉が降りていかない。そもそも僕の言葉が枯れ草のように軽すぎるのかもしれない。だけど他愛のないことだって僕には伝えたいことの一つだし、その中に潜んでる僕だけの真実を見つけ出すためには多分、こうして穴に向かって語り続けなければならない。