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オーケー、ボーイズ&ガールズ

神話の話

 

まず初めにつがいの肉食獣がいる。彼らは避妊をしないので数え切れないくらいの子どもがいるはずだが、どこを見渡しても彼らの子どもは一匹として見当たらない。どこかへ行ってしまったのか、死滅したのかはわからない。ただこの世界には彼らと同じ生き物は、彼ら二匹以外にいない。彼らは実に孤独な生き物で、お互いの肉を食べ合って生きている。

がらんどうの塔がある。中は空っぽだ。エスカレーターもないし、ラジカセもない。もちろん本の一冊もない。誰が作ったかは今のところわかっていない。コンラッドデンヴァーという耄碌した考古学者が言うには、それは火星人の交信装置であり、別の惑星からの信号を振動としてこの星に伝え、それを増幅させる役割を果たしているということだ。私は彼の説を支持してもいいと思っている。別にこの塔の存在理由は、なんだっていいからだ。

塔の周りには頑丈な塀があり、塀の内側にはそのがらんどうの塔しかない。塀にはかつて戦死した兵士たちの骨が練りこまれている。仕上げに生き血をかけたという噂もある。かなり物騒な話だ。しかもたった1人の人間が40年かけて作り上げたのだ。彼の名前は誰も知らないが、センスのない奴が彼をベルリンと呼んだので、みんなは長い間彼を便宜的にベルリンと呼んでいる。

私は森からやってくる狼を殺す仕事をしている。もう30年になる。狼はベルリンの暮らす小屋へもやってくるが、昔、私が新米だったころ、真夜中に狼が彼の小屋近くまでやって来たので、昼の間丹念に整備した銃で首尾よく撃ってやったことがある。銃声に驚いて勢いよく飛び出してきた彼が私を見つけて「静かにしろ、今何時だと思ってる!」と怒鳴ったので「狼に食い殺されてもいいのか」と尋ねたら、「なんのために塀の外で寝てると思ってんだ!」と怒鳴り返された。それからは彼の小屋に近づく狼を撃ったことがない。けれどベルリンは80歳を超えた今でも元気に塀の手入れをしている。

この世界にはもうひとつかかせない生き物がいる。汚い野ネズミだ。無遠慮で不潔な生き物だ。孤独な肉食獣が互いを食べ合っていると、滴る血を飲みにやってくる。もちろん私たちの可愛いキッチンにもやってくるし、旅の途中で死んだ渡り鳥の死肉にだって群がり、敬意のかけらもなく食い散らかす。しかしこの世界で彼らだけが、ベルリンの数少ない友だちではあるようだ。

私の妻は虫歯で死んだ。がらんどうの塔からそう遠くない小さな町で助産婦をやっていたが、「急に嫌になった」と言って今度は輸入菓子を売り始めた。家でもチョコレートのかかったレーズンばかり食べていたが、まさか虫歯で死ぬとは思わなかった。

私はこの世界から出たことはないが、狼が秋になると四方からこのがらんどうの塔の周りに食物を探しに来るということは、森の向こうにはおそらく何もないのだと思う。もしくはまたさらに誰かの作った塀が森の外側にあり、バームクーヘンのような構造を取っているのかもしれない。しかしそれは私には関係のないことだ。

私はただ、狼を殺し、ベルリンは野ネズミの齧った塀を修復し、つがいの肉食獣は互いの肉を食べ合っている。町では人々がささやかな暮らしを営み、がらんどうの塔は火星人にメッセージを伝え、塀はそれを守り続ける。ここはそういう世界だ。

 

 

 

5/24


僕の狭いアパートには猫がいて、晴れの日は窓辺でずっと眠っているし、雨の日には猫用ベッドでずっと眠っていて、夜も僕と一緒に眠っている。彼は時々夢を見ていて、耳や鼻がピクピクしたと思ったら手足をバタバタやる。何か追いかけているんだと思う。
4、5年くらい前、僕は生きてるのに結構嫌気がさしていて、別に死ぬほどのもんでもなかったけれど、よくある大ニ病ってやつだと思う。
とにかく参っていたのは研究室で、僕は先生が大好きだったけれど門下生の子たちとどうもうまくやれなかった。うまくやれなかったことを気にしないのがまずかった。僕は自惚れや下手な勤勉さのしっぺ返しをくらい逃亡し、そのうち世の中の大体がくだらなく、自分のやることがつまらなく、気が滅入っていった。
だから考えなしに猫を拾ってしまった。手のひらサイズの、毛が生えたての茶トラだった。いつもぷるぷる震えていて妙だった。
拾ってきて2日くらいは名前がなかった。けれど彼はちゃんとトイレにおしっこをし、皿から餌を食べ、それ以外は一日中テレビ台の下に潜りこんで、前を通る度に僕の足を攻撃した。
名前はくじらとかピカソとか色々考えたけれど文豪の名前にした。
彼はすぐに自分の名前を覚え、僕の肩によじ登るようになった。肩に乗っている時は僕の皮膚に爪がめり込んでいるので、揺すっても落ちたりしなかった。そのまま立ち上がって自販機にコーラを買いに行ったことがあるくらいだ。
ところで僕には仕送りなんかなかったので、とても貧乏だった。当時映画館でやっていたアルバイトを増やしてもらって、近所の薬局で猫の飯を買った。
彼は日増しにデカくなり、すぐに成猫になってしまった。
毛並みが綺麗で、乱暴者で、顔が細く鼻が小さい、結構なイケメンだ。今なら彼の名前をダルジェロにしたと思う。だけど会った時は本当にただのぷるぷるしてる毛玉だったんだ。

僕の家にいる猫は、飯欲しさに僕の足に擦り寄ったりしない。眠ってる時に触るとめちゃくちゃ怒る。普通に噛む。可愛げのないタイプの猫だ。うんこは臭い。
でも時々、窓辺で眠ってる猫を神様と見間違う。

今もうつ伏せの僕の肩にいる。もう大きいので、僕の肩幅いっぱいに寝そべっている。

僕は猫のおかげとは言わないけれど、あの頃と比べたら何もかもがどうでもいいわけじゃなくなった。どうでもよくないことをいくつか手に入れた。だけどもし聖人君子の良い大富豪が現れて、お宅の猫ちゃんにもっと良いお家でもっと良いご飯をあげるので私にくださいと言われたら、あげると思う。彼もそれを普通に喜ぶと思う。

だけど僕たちは今もこうしてくっついて、お互い素っ気のない態度で過ごしている。
僕は時々猫を神様と見間違う。



5/20 犬の話

 

「メスの犬はシナモンロールが好きか」と砂糖の研究をしている博士に尋ねたところ、それは解明されていない、と博士は首を横に振った。

 

ロシアの宇宙基地はいつも捨て犬募集の張り紙があり、表向きはクドリャフカに次ぐ宇宙犬の育成であるが、本当のところは違う。

捨て犬たちは基地に着いてすぐ風呂に入れられ、美味しいビーツを見分けられるかどうかの試験を受ける。美味しいビーツが見分けられる犬はそのままキッチンで働き、そうでない犬は超能力開発チームに送られる。超能力開発チームでは人間の超能力を引き出すためにあらゆる実験が行われているが、その中の1つ「ワンちゃん がぶり」の仕事に就く。高い台の上に置かれた美味しいおやつを手を使わず念力でワンちゃんに与えるという実験である。これは以前行われていた「テーブルの上のボールを念力で転がす」という方法よりも2.7倍の成果を出している。

 

犬と猿を仲良くさせるために必要なことは、全く新しい物語である。

 

小学校の近くの新聞屋で飼われていたマルコという名前の犬が死んだ時、クラスの全員でマルコに向けて慈しみ溢れる寄せ書きを書いた。臭くて痩せた犬だったが、目のキラキラした可愛いヤツだった。新聞屋のオヤジに寄せ書きを渡すと、ウチの犬は幸せもんだなと言った。同行した教師が「みんな本当にマルコちゃんのこと好きでした」としんみりした声で言うと、オヤジは「犬に玉ねぎ食わせちゃダメだって、学校じゃ習わねぇもんな」と言ってドアを閉めた。沈黙。何気なく振り返ると表札に「内藤隆二」に並んで「丸子」と表記されている。あぁオヤジがマルコって呼んでたの、奥さんか。犬の名前じゃなかったんだ。

 

 

 

 

 

4/27

 
こうやってこのままクサい自我を失ったフリして生きていったら、最終的にどんな人間になるんだろう。
僕にとって先生は肯定の象徴だけど、先生にとっての僕もまた肯定の象徴なんだろうと思う。だって僕が先生を先生たらしめてる門下生なんだから。門下生のいない先生は多分先生じゃないし、先生のいない門下生なんていないもん。
 
そう考えると、僕を僕たらしめている外的要因を全く排除した時、自分を素直に肯定できないゆがんだナルシズムだけが残って僕はきっと僕自身に絶望するだろう。
 

4/23

 
途方もない、あるいは漠然とした、もしくは途方もないうえに漠然としている喪失感に出会ったこともまだ一度もない。
だけど思い返せば信じられないくらいたくさんのものを今までに失ってきたし、今手にしているものだってこの先ずっとあるのかと言われたら、なんとも言えない。そもそも本当に手にしているのかさえわからない。
多分何かのきっかけがあって、とかではなくある日ふと気付くんだろうと思う。そういう日に備えて自分は空っぽだと言い聞かせて生きている。
 
心に穴があく、みたいな表現がピンとこない。
どんなに虚しい気持ちになっても、そこを埋めるように悪いやつや無気力的な肯定感がすぐに集まってきて止血してくれる。心には表皮があって、表皮には様々なものがへばりついている。いいことや悪いことや心底感動したことや心底失望したこととか。だけどその内側には何にもないんだ。何にも感じない何にも生み出さない空間があって、心の表皮はそれを大事に守り続けてる。「何もない」が満ち満ちている。表皮が薄くなればなるほどそのダークマターじみたものが露呈してくるだけなんじゃないか。
 
なぜそんなものを大事に守り続けてるのかってことの答えは多分すごく単純なことなんだと思う。今はまだよくわかんないけど。愛や勇気、宗教や憎悪そんなものたちが微塵も入り込む隙のない完全で完璧な、容赦ない空洞。僕たちの希望。アイデンティティの親。
 
いつからかでくの坊みたいに突っ立ってる塔の周りに頑丈な塀を作って、その外で狼を殺す仕事をしている。狼は優しくて賢い動物だから。
そうしている間僕は健康であり続ける。
 
 
 
 

4/22


真実はパチンコ玉のように事実を歪んで映している。誰にとっても必ず事実ほどつじつまが合わない。誰かと同じパチンコ玉を見つめても化け物のように奇妙にうねった自分が見える。
創作という行為において大袈裟に言って絶望と希望があるとしたら、それは「誰とも分かり合えない」絶望と「誰かと分かり合える」希望だ。孤独が共感を呼び続ける。
フィクションでしか真実は語られないと僕の先生はよく言っていたけど、今は全くその通りだと思う。多くの場合言葉はいつも正しくは遣われない。25年生きていた今でも、心の中のことをそのまますっきり言葉に出来たことがない。

海を見て感動したことはない。でももし今この地球上で1番チャーミングな女の子が現れて僕に「海を見て泣いちゃうくらい感動したこと、わかってほしい」と言ったらどうしたらいいんだろう。彼女だけじゃなく誰しもがいつだって誰かに何かをわかってほしいんだ。
たとえば彼女がその時見た海の美しさを丁寧に話してくれたとしても、彼女の泣いちゃうくらいの感動は僕には理解できない。この件に関して彼女は永遠にひとりぼっちだ。

最近はどこからか強い風が吹き上げる深い穴に向かって話を続けている。風が邪魔をしてなかなか、穴の中に言葉が降りていかない。そもそも僕の言葉が枯れ草のように軽すぎるのかもしれない。だけど他愛のないことだって僕には伝えたいことの一つだし、その中に潜んでる僕だけの真実を見つけ出すためには多分、こうして穴に向かって語り続けなければならない。