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夏の前の雨の匂い

2/5 やもめの手袋

 

 

月の映らない窓に帰るまで、実に様々な出来事があった。紫色のニットのワンピースは裾がほつれて袖も伸びきってしまったし、小屋に住み着いたネコが三匹も子供を産んで、立葵が群生していた西の踏切は綺麗にコンクリートが敷かれた。真新しい不必要な駐車場は常に陽炎が立ち上がり、深雪は茅葺屋根の家を2つも潰してしまった。

アパートの隣の、黄緑色の屋根の教会には日曜日、ミサに訪れる人たちは相変わらず浮かない顔で、隣の臭い魚屋に金目鯛が入っていた。

 

僕たちは時々手をつなごうとするが、用事のある人たちの往来に遠慮する。映画祭があり、友だちは見知らぬ女の子と寝たと言った。

ホルモン屋の屋上で寝そべっていると、遠くでチャイムが聞こえる。横縞のTシャツ一枚に白いスカート。サンダル。全部どこかへやってしまったが、新しく縦縞のワンピースを手に入れた。似合っていると思う。

悪いことをし、その度にシナモンロールを食べた。僕は現代社会の死神のような先生が黒板に描いたアンドロギュノスの下手な絵を思い出す。

君たち、うまくやってる?こちらはまあまあ。

東原には時々キャベツ泥棒が出たが、犯人は犬だった。さらに違法駐車におぞましい張り紙がされ、辟易して僕は新聞紙のような色の街を出ることにした。

先生にだけお別れを告げ、黒糖饅頭を献上した。僕を破門にしてくれと頼んだが、先生はそうしなかった。僕が魔法使いなら、先生をパイロットにしてあげますよと告げると、僕はこの傷んだ目を今は気に入っていますと先生は言った。

新しい街には宗教がなく、若者たちが溢れる娯楽に飽きていた。彼らはフカフカハニーディップに見向きもしなかったが、僕は毎日のようにハニーディップを食べた。ただ彼らには愛すべき月の映らない窓があり、坂道を登っては降った。何も持っていないヤツは、夜の空にくっきりとしたレモンキャンディを認め心底明日が嫌になっていた。だけどこの街にはライブハウスがある。しかしこの街には宗教がない。昔はあったようだった。

僕は豆腐屋と結婚しようと心に決めるが、豆腐屋を探すのは骨が折れた。結局諦めて安い櫛を買い、初めて髪を梳いた。

その夏、自分を騙すのが上手い道化師が滑稽過ぎてうんざりした。僕たちは海が見たいだけなんだ。構わないでくれ…

だけど僕はこの街に生まれた女の子たちの悲しみを、海の底に沈めるような真似はしない。僕は彼女たちを守るために探検を磨き続ける。好きなんだ。

 

12/29

 

喪失感に名前をつけることが出来るのわたしまだ救いがある。

何時間も眠れない日は何か食べてその味を分析して余計なことを考えないようにする。甘い甘すぎる辛い苦い…

 

12/28

 

僕にはリビングに一番近い部屋があてがわれていたが、曽祖母が死んだすぐ後に彼女の部屋に移った。和室の六畳間で、押入れの襖一面に描いた絵や好きな映画のポスターや広告を貼った。

 

冬は石油ストーブを焚いて沸かしたお湯で変なお茶を飲んでいた。姉がダイエットのために買ってきて不味くて飽きたものをもらって飲んだ。

その時はスクラッチという画風に凝っていて、削ったクレヨンのカスが畳に入り込んで取れなくなったことで祖母に叱られた。僕は芸術家気取りだったので気にしなかった。

傷だらけの学習机には勉強に関係ない本で埋もれ、壁のあちこちに世界地図や音楽雑誌の切り抜きを貼り、ガラクタを拾ってきては飾って完璧な部屋を作り上げた。

窓を開けると裏の森から杉の匂いが入ってくる。閉めたら日の当たる畳の匂い、夜は湯気、早朝は雪や朝靄の匂いがした。部屋を出るときに気がついたが押入れの中のベニヤ板が外れていて、外の空気が年中部屋に入り込んでいた。

 

時々掃除をすると曽祖母のものが出てくる。レシートや、昔の硬貨や、安物の指輪、小豆、黄ばんだ箱に入ったままのレースのハンカチ、膝までのストッキング、飴の包み紙。

もういない人といる僕の住んでる部屋。

 

今は父の仕事部屋になっているが、僕が帰りたいと思うのはあの部屋だけだ。もうない部屋。

明け方ゴマダラカミキリが僕の顔の上に登って一息ついていたこともある。

 

11/19

 

僕の未来に期待していた母には、悪いことをした。ひしゃげて薄汚れた文庫本の切れ端を握りしめ「これが私だ」と戯言のように繰り返す人生を、勝手に生きてけ。それしかないんだろ、お前には。何が自分だ、版画じゃねえか。と、鏡に言う。

 

昔友だちに、ラーメン屋で「自業自得」と言われたことを思い出す。確かにそうだ。誰のせいでもない。女が嫌ならやめればいい。奴隷が嫌なら戦えばいい。それを成し遂げるほどの、血が吹き出るほどの憧れがない。何もない。

 

自分の尻拭いをするために生活をしている。

ずっと車酔いをしているように気分が悪く、いつも背中が痛い。これもなにもかも自業自得だ。それでもまだ洗濯や炊事が出来るんだから、逞しい女だ。父方の祖母に似た。

土臭いごつごつした手と綺麗なんて言われたことのないような女。こき使われて家族を愛しているがさつで学のない女。僕は年中彼女の背中にしがみついていた。好きだ。

 

飼っている猫がもっと走り回れるような広い部屋に越そう。猫はひとつも悪くないんだから。

猫は訳もわからず拾われてうちに来たのだから、自業自得でないのだから、せめて猫だけにはなんの我慢もなく生活をさせてやりたい。

 

 

ハーモニウムのゴハン私の読書遍歴

 

母は壁一面の本棚を絵本で絵本で埋め尽くすほど絵本が好きで、保育士になる前は絵本作家になりたがっていたが、食えないという理由で両親に反対され、絵本作家になる夢を諦めた。

絵本はよく読んだ。好きだった絵本は特にないが、島田ゆかのバムとケロシリーズは、絵の中に本文とは関係ないカイちゃんというアヒルとおじぎちゃんという謎の生き物の生活があって、自分の生きている現実世界に存在する、今手元にある仮想現実世界の中にもまた別の連動する仮想現実世界の生活がある、という構造が最高にわくわくして気に入っていた。

小学校の図書館にも絵本があり、そのうちに絵よりも文の多い児童文学を読み始めた。ファンタジーに目覚めたのは末吉暁子の『赤い羽のアラ姫』がきっかけで、他にも『霧の向こうの不思議な町』や『雨降りマウス』なんかも現実と非現実への絶妙な交錯を自分の世界に期待させた。

ファンタジーを好む性質は、当時の形成していた現実に対する不確定な世界観の可能性をファンタジーに見出すことができたことと、自分自身が「何者かである」、例えば魔法使いであったり、勇者だったり、そういったただの人間ではないという期待を無邪気にも信じ込めていたことが関係していると思う。

 

児童文学を読み始めた頃ちょうどエミリー・ロッダの『ローワンの魔法の地図』のシリーズが出版され始めた。小学2.3年生の頃だったと思う。これが最高に面白かった。ファンタジーの王道である、底なし沼や竜退治に初めて触れた。おジャ魔女どれみ明日のナージャも好きだったが、少年が勇者となって冒険をし人々を救うストーリーに憧れ始めたのはローワンシリーズがきっかけだった。それまで両親は極力暴力や血なまぐさい描写のあるコンテンツを子どもに与えないようにしていた(本当に良い両親だ)ため、泥まみれの手に握られた聖剣が目眩のする程輝いて見えた。

ちなみに当時与えられていたゲームはプレイステーションどこでもいっしょニンテンドー64どうぶつの森とみんなでたまごっちワールドであったが、いとこがくれたラブデリックギフトピアが一番好きだった。これはゲームキューブ。大学生になっても盤面を歯磨き粉で磨いてまでプレイした。

 

中学校に上がると、図書館がいきなり分厚い本で満たされていたことに歓喜したのを覚えている。一年生の頃はダイアナ・ウィン・ジョーンズの書いたファンタジーを手当たり次第読んだ。クリフ・マクニッシュのレイチェルシリーズにもハマった。これはファンタジー冒険ものなのに主人公が女の子なのが自己投影しやすくて良かった。上橋菜穂子守り人シリーズを読み終えた後、指輪物語を読むつもりで図書館へ行くと、指輪物語の最終巻の隣に突き出た赤い本があった。手に取ってみると布張りで、互いの尾を噛み合って輪になっている蛇が描かれている。これは自分がファンタジーの世界に迷い込んでしまったプロローグとして完璧な演出だった。図書館にはいつも誰もいなかった。司書もいない。勝手に本を持って行って勝手に読み勝手に返却していた。例の如くその赤い布張りの分厚い本をなぜかこっそり鞄に入れ逃げるように家に帰った。ミヒャエル・エンデの『果てしない物語』は自分がついにファンタジーの世界に迷い込んでしまった、という胸の高鳴りを読み終えても尚持続させた。ストーリー自体が読者とストーリーの循環的で密接な関係を表しており、読み手にそのファンタジーを引き継がせるような構造になっていたためである。こうして完全にファンタジーに狂ったイタい女子中学生が出来上がった。

二年生に上がるともうバカみたいにファンタジーを読みまくっていた。かの有名なゲド戦記指輪物語に続き当時シリーズ第2巻となる秘密の部屋が刊行されたハリーポッターシリーズ、T.Aバロンのマーリンシリーズ、ガース・ニクスの『サブリエル』『ライラエル』『アブホーセン』三部作(これはクソ良かった何より従来のファンタジーにある軽快さがなく物々しく寒くて重い、生々しいストーリーが世界は思うより美しくないと思いがちな中高生の性質にコミットしてきた)、そしてラルフ・イーザウの『ネシャン・サーガ』。中高生の図書館にあるファンタジーはおそらく全て読んだ。当時小遣いをもらっていなかったため、誕生日プレゼントとクリスマスプレゼント全て本をせがんだ。叔母にも「何か買ってあげる」と言われ、上記の『アブホーセン』を買ってもらったが、その時半笑いで『こんな聖書みてぇな本読んでんだが〜しんじらんね』と言われて傷付いたが、両親は、特に母親は喜んで本を買い与えてくれた。

他にもメアリ・ホフマンの『ストラヴァガンザ』はファンタジーなのに異国情緒があって気に入っていたし、ファンタジー世界に現実世界のリアリティを盛り込んだ『サークル・オブ・マジック』も良かった。今は少し違った消費のされ方をしているが萩原規子『西の善き魔女』も好きで絵を描いたりした。ガリガリ天パ草食系メガネの魅力が萌コンテンツとして今も生きている良作である。ナルニア国物語もこの頃読んだが、確か母親がクリスマスに買ってくれたことだけで気に入った。

3年生になり、受験期に突入したが相変わらず本は読んだ。しかしもうファンタジーを現実として期待することはなく、ファンタジーはファンタジー作品として完結した魅力を感じるようになっていた。中学生最後のファンタジーはミシェル・ペイバーの『オオカミ族の少年』だったと思う。これは表紙を酒井駒子が描いていて、ポストカードも付いていたため、誕生日でもクリスマスでもないのに母親にせがんで買ってもらった。

ファンタジーを読んだ副産物として、絵を描いたが、描き終わるたびに捨てた。一枚だけ残したのはローワンシリーズに登場するバクシャーというバッファローのようなでかい毛の長い牛のような生き物の絵だったが、20歳になり帰郷した際にまだとってあったのが恥ずかしく、古い日記とともに捨てた。

 

高校生になると図書館は狭くなり、物憂げな司書がいるようになった。入り口付近に日本文豪全集があり、とりあえず一年生の頃はここの棚を制覇しようと思った。高校は冴えなかった。当時ジェンダーアイデンティティの獲得に完全に失敗していたこともあり、女であることを強調するようでギャルと呼ばれる人種になれなかったことが大いに関係していた。そして読書量をステータスと見間違い勝手に優越感を抱いていたこともありクラスメイトと全くうまくやれなかった。そのうちに優越感の裏にハッキリとした劣等感を感じた。見つけ出された劣等感は居直って、ゆがんだ背骨に入り込んできた。そうすることによってまるで人格が完成されたように感じ、空虚な優越感で自身を正当化することで生きていた。

そして運の悪いことに、例の本棚で一番最初に手に取ったのが太宰治だった。完全に自己投影出来た。もともとファンタジーに対し感じていた読了感のあるなしは、世界観やストーリーの完成度と同じくらい、登場人物の心理的描写に依存していた。精神的成長を与える苦悩が多く重大であればあるほど、ドラゴンを倒す意味が強い役割を持つのだ。ファンタジー文学の、ファンタジー抜き、それが純文学なのだと理解した。太宰治を読んで感激し感化され、芥川龍之介の藪の中的な経験で自尊心が派手に飛び散り、もうなにがなんだかわからなくなったために以前からかぶれていたオカルトの世界へはまり込んだ。今思えばオカルトは、ファンタジーがファンタジーに作品として完結してしまった中で唯一、現実世界と非現実世界の間に横たわる半現実世界とでも呼べるような存在と感じていたのかもしれない。オカルトの話は読書遍歴よりも恥ずかしいので割愛する。

高校図書館の物憂げな司書が、全集以外も読むように勧めたため、乙一山田悠介東野圭吾を経て村上春樹ノルウェーの森を読んだ。当時精神的には卑しく成長していたが肉体的には純潔無垢な少女であったため刺激が強すぎた。刺激が強すぎて困惑した。なんでおちんちん舐めるの?とゾッとしたことを覚えている。

とにかく高校時代は自己変革が著しくその度に自分を見失った。見失うたびに本を読み、まるで別人格が出来上がってしまったような不安に駆られた。そういう時は希望に満ちた軽快な小説が明日を生きさせてくれたように思う。伊坂幸太郎森見登美彦は新刊が出るたびに町の図書館へ行った。進路調査に「喫茶店の店長になりたいです」と書いたのは伊坂幸太郎の『陽気なギャングが地球を回す』の影響でしかなかった。映画も数えたら72本観ていたが、町に一軒だけある電気屋が趣味でレンタルしているような偏りのある映画しか借りられなかった。今でもいいなと思えるのは鉄コン筋クリートだけだ。あとその電気屋には『ごくせん』シリーズのDVDが全巻あったが、その隣に『こきせん』というAVが陳列されていたのは教育上良くないと思った。

高校時代に読んで良かったと思うのは太宰治『斜陽』『女生徒』『人間失格』『晩年』と初期作品集、伊坂幸太郎の全作品、森見登美彦『夜は短し歩けよ少女』『四畳半神話大系関口尚『プリズムの夏』くらいしか思い出せない。

高校卒業間近、町の図書館へ行くと廃棄予定の本がワゴンに入れられ「ご自由にどうぞ」と張り紙がしてあった。二冊だけ適当に持って帰ってきた。哲学者の犬みたいなタイトルの本とポール・オースターの『ムーン・パレス』という本だった。

 

大学に入ってからは時間がたくさんあったためよく本を読んだ。村上春樹の『スプートニクの恋人』を読んで、村上春樹が好きになった。アジカンのCDで一番最初に気に入ったのはフィードバックファイルだったし、バンプオブチキンで一番好きな曲は乗車券だったし、好きな寿司ネタはイカだし、こういうトンチンカンなセンスには思い当たる節がいくつかある。これは様々なカルチャーが限定された形で与えられる地方や家庭の特徴に原因があるのではないかと疑っている。例えばファーストアルバムから聴いているGO!GO!7188において傑作と呼び声高いアルバムといえば『パレード』と答えるしチャットモンチーで好きな曲と言われれば真夜中遊園地と染まるよだと答えることができる。

限定された選択肢の中で嗜好を作り上げるとその環境下で最善となるものが、限定されていない選択肢の中の最善と異なるという現実が当人の取捨選択に影響を与えているのではないか、という疑問もある。

 

とにかく村上春樹を読むようになり、そのころ卒業論文の課題として太宰治の何かをやりたいと考えリルケゲーテモーパッサンを少し読んだが馬鹿なので理解できなかった。ネット上で孔さんという女性にそそのかされジョルジュ・バタイユの『眼球譚』を読んだことが読書遍歴の転機とも言える出来事だった。簡単に言えば日本人以外の作家の小説でこんなに面白い作品があったとは、という感想を抱いたのだがこれはもともと全くの偏見であったしかつてのファンタジー狂いの自分を完全に忘却していた偏屈な大学生にありがちの、自分も文学の歴史も文学そのものも見誤った実に恥ずかしい感想である。

動機は何にせよそこから外国人作家の本を読むようになった。ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』は今も若者のバイブルになり得る程の言うまでもない傑作でリチャード・バック『イリュージョン』はソフィーの世界と同じくらい感化されたしカート・ヴォネガットタイタンの妖女ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』は今自覚する人格に確実に影響している。

『木馬の騎手』を読んだ年は生活が冴えなかったが村上春樹の『1Q84』と『ねじまき鳥クロニクル』を毎日読めることに生きる活力を感じていた。翌年大学で初期村上春樹の世界という講義を受講する際読み直した青春三部作は前よりずっと腑に落ちた気がした。桑原一世の『クロス・ロード 』も良かった。

村上春樹柴田元幸が組んだという話を聴いた。高校卒業間近に何気なく持ち帰ってきてハマっていたポール・オースターの訳の多くが柴田元幸だったことにその時気がついた。『ムーン・パレス』は最高だけど『幽霊たち』にも痺れた。

 

今はリチャード・フラナガンの『グールド魚類画帖』を読んでいて次には『ある島の可能性』が控えている。忙しい日々が終わったら罪と罰カラマーゾフの兄弟が読みたい。地球の長い午後と世界の終わりとハードボイルドワンダーランドもまだ読んでいないから読みたい。指が疲れた。

 

別に読書が趣味だとか生業だなんて思ってない。好きとも今はもう言えないし別に好きだからどうなるってものでもないだろう。これは、うんこした後にわざわざ便器を覗いてうんこの状態を確認する作業でしかないのだ。そして私は今そのうんこをこうしてあなたたちに見せて「どうですか?わたしのうんこ、少しやわい」と言っているわけです。これが一体何の得になるというのでしょうか、ハーモニウムならもうお腹いっぱいでしょう。

 

9/29

いつの間にか9月も終わろうとしている。

さっき眼科の前に介護用タクシーが停まるところを追い越してきた。

 

沖野くんの紹介をする。

 

「神に耳はない。」と修司くんはよく言った。

彼は今年で26歳になる。彼について知っていることは、精肉店で牛の骨の周りについた肉を刮げ落とすアルバイトをしているということと、歌が上手いということだけだ。

「音楽の起源は、リズムが先か、メロディが先か、どっちだと思う?」

「わかんないな。でも多分リズムじゃないの」

「俺にはお前の頭の中が見える。猪の毛皮を腰に巻いたほとんど猿みたいな人間が、生焼けの肉を齧りながら足を踏み鳴らして手を叩いている。挙句馬鹿げたダンスをし始めた。掛け声はこう『ウッホ、ウホホ』」

「そんなこと考えてない」

「いや、悪いけど俺には見えてんの。考えてたね。」

修司くんは目を細めて、いつもやるようにこめかみを手のひらでゆっくり擦る。

「単純なことはいつも悪くはないよ。」

「君はどっちだと思うの。リズムが先か、メロディが先か。」

「場所によって違うよきっと。元祖が起源てわけじゃないはずだ。中国あたりではメロディだ。アフリカはリズム。」

「リズムが無くてもメロディを思いついた人はすごいな。」

「発見したやつ驚いただろうな。馬鹿みたいに。いや、発明か?」

「言葉より先?後?」

「そんなの知らねぇよ自分で調べろ。」

「なんだよ、それじゃ君の話なんかまったく訳わかってないじゃんか。」

「なんだよお前、自惚れんな。お前の知り得ることと理解出来ることにこれっぽっちも意味なんかねぇよ。」

「じゃあなんで僕に質問なんかしたわけ」

修司くんは人差し指を口に当てて「シッ」と小さく息を吐いた。そしてナイフとフォークをこすり合わせるようなジェスチャーをして見せた。

「見えるか?」

「何が?」

「お前には、俺の握っているのはどっちが骨で、どっちがナイフか。」

「右がナイフだろ、君は右利きなんだから。」

「ナイス。だけど残念、ハズレ。」

「なんだよ、そんなクイズ。」

「答えは俺が決めていいってわけ。何だってな。誰も聞いちゃいねえよ!」

僕は刮げ落とされた肉が美味しいハンバーグになることを想像し、バケツいっぱいの骨を前に喜びと涎を堪えきれない汚い野犬を思い浮かべた。

「誰も聞いちゃいねえんだよ、神に耳はない。」

 

彼は小銭がひとつも入っていないギターケースにギターを戻し、高架下の暗がりに唾を吐いた。 

 

6/22

 

僕が高校一年生の時友だちだった沖野くんは、映画監督になるのが夢だった。

沖野くんは自分で脚本を書いていて、僕にいくつか読ませてくれた。中でも修司というキャラクターが出てくるものはいつも面白く、冗談しか言わない沖野くんが本当に話したいこと全部を修司が話していた。彼は実のところおしゃべりだった。

夏に2人で流星群を見に行った。思いの外綺麗だった。

「俺こういうの、いつか思い出したりすんのすごい嫌だわ」

と沖野くんは半笑いで言った。

なんか違うことやって上塗りしようぜ、と彼は近くの鉄塔に登り始め、地面から3メートルくらいまで登りズボンとパンツを脱いで「チンコ」と叫んだ。

そんな彼の後ろを大きな流れ星が通り過ぎ、僕は確かに、こんなにつまらないことで笑い合う時間を、いつか思い出したりしたくないと思った。

沖野くんは両親の離婚で転校してしまい、それから会っていない。お別れの挨拶も特になかった。沖野くんもあの日のことをこんな風に思い出したりするのだろうか。