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オーケー、ボーイズ&ガールズ

2/19

 

突然心を鷲掴みにする何か、法則性の無い何か、これまで偶然発見出来ただけで、これからはどうかわからないことが不安だ。それは人生に意味とか喜びをもたらしてくれることもあったし、今もただ風に弄ばれるボロ切れのように引っかかりなびくだけで、何も与えないこともある。

一番最初はカタツムリの殻で、家主がおらず白く乾いたやつが無性に好きだった。保育園の近所中探して手の中に握り、帰った。大学で粘土をこねる授業の際、無意識に螺旋状のモニュメントを作った。「フランス人の幽霊」みたいな教授が「螺旋は人間の遺伝子に組み込まれた美の意識なんですね」と囁いて通り過ぎた。

スナメリもそうだ。学生運動、セルリアンブルー、チェルシー・ホテル、セント・ギガ、マグカップの底に溶け残った砂糖、西海岸の夕焼けのような安いラブホテルの壁紙、フラワームーヴメント、ユングニューエイジ思想、とか。

いつか何もかもに情熱がなくなって、肌が水を弾かなくなったらほとんど死ぬだろう。もし、これから何かが見つからなかったらと思うと恐ろしく、デタラメな何かを考えずにいられない。

2/5 やもめの手袋

 

 

月の映らない窓に帰るまで、実に様々な出来事があった。紫色のニットのワンピースは裾がほつれて袖も伸びきってしまったし、小屋に住み着いたネコが三匹も子供を産んで、立葵が群生していた西の踏切は綺麗にコンクリートが敷かれた。真新しい不必要な駐車場は常に陽炎が立ち上がり、深雪は茅葺屋根の家を2つも潰してしまった。

アパートの隣の、黄緑色の屋根の教会には日曜日、ミサに訪れる人たちは相変わらず浮かない顔で、隣の臭い魚屋に金目鯛が入っていた。

 

僕たちは時々手をつなごうとするが、用事のある人たちの往来に遠慮する。映画祭があり、友だちは見知らぬ女の子と寝たと言った。

ホルモン屋の屋上で寝そべっていると、遠くでチャイムが聞こえる。横縞のTシャツ一枚に白いスカート。サンダル。全部どこかへやってしまったが、新しく縦縞のワンピースを手に入れた。似合っていると思う。

悪いことをし、その度にシナモンロールを食べた。僕は現代社会の死神のような先生が黒板に描いたアンドロギュノスの下手な絵を思い出す。

君たち、うまくやってる?こちらはまあまあ。

東原には時々キャベツ泥棒が出たが、犯人は犬だった。さらに違法駐車におぞましい張り紙がされ、辟易して僕は新聞紙のような色の街を出ることにした。

先生にだけお別れを告げ、黒糖饅頭を献上した。僕を破門にしてくれと頼んだが、先生はそうしなかった。僕が魔法使いなら、先生をパイロットにしてあげますよと告げると、僕はこの傷んだ目を今は気に入っていますと先生は言った。

新しい街には宗教がなく、若者たちが溢れる娯楽に飽きていた。彼らはフカフカハニーディップに見向きもしなかったが、僕は毎日のようにハニーディップを食べた。ただ彼らには愛すべき月の映らない窓があり、坂道を登っては降った。何も持っていないヤツは、夜の空にくっきりとしたレモンキャンディを認め心底明日が嫌になっていた。だけどこの街にはライブハウスがある。しかしこの街には宗教がない。昔はあったようだった。

僕は豆腐屋と結婚しようと心に決めるが、豆腐屋を探すのは骨が折れた。結局諦めて安い櫛を買い、初めて髪を梳いた。

その夏、自分を騙すのが上手い道化師が滑稽過ぎてうんざりした。僕たちは海が見たいだけなんだ。構わないでくれ…

だけど僕はこの街に生まれた女の子たちの悲しみを、海の底に沈めるような真似はしない。僕は彼女たちを守るために短剣を磨き続ける。好きなんだ。昔の僕と同じ彼女たちが。

 

12/28

 

僕にはリビングに一番近い部屋があてがわれていたが、曽祖母が死んだすぐ後に彼女の部屋に移った。和室の六畳間で、押入れの襖一面に描いた絵や好きな映画のポスターや広告を貼った。

 

冬は石油ストーブを焚いて沸かしたお湯で変なお茶を飲んでいた。姉がダイエットのために買ってきて不味くて飽きたものをもらって飲んだ。

その時はスクラッチという画風に凝っていて、削ったクレヨンのカスが畳に入り込んで取れなくなったことで祖母に叱られた。僕は芸術家気取りだったので気にしなかった。

傷だらけの学習机には勉強に関係ない本で埋もれ、壁のあちこちに世界地図や音楽雑誌の切り抜きを貼り、ガラクタを拾ってきては飾って完璧な部屋を作り上げた。

窓を開けると裏の森から杉の匂いが入ってくる。閉めたら日の当たる畳の匂い、夜は湯気、早朝は雪や朝靄の匂いがした。部屋を出るときに気がついたが押入れの中のベニヤ板が外れていて、外の空気が年中部屋に入り込んでいた。

 

時々掃除をすると曽祖母のものが出てくる。レシートや、昔の硬貨や、安物の指輪、小豆、黄ばんだ箱に入ったままのレースのハンカチ、膝までのストッキング、飴の包み紙。

もういない人といる僕の住んでる部屋。

 

今は父の仕事部屋になっているが、僕が帰りたいと思うのはあの部屋だけだ。もうない部屋。

明け方ゴマダラカミキリが僕の顔の上に登って一息ついていたこともある。

 

11/19

 

僕の未来に期待していた母には、悪いことをした。ひしゃげて薄汚れた文庫本の切れ端を握りしめ「これが私だ」と戯言のように繰り返す人生を、勝手に生きてけ。それしかないんだろ、お前には。何が自分だ、版画じゃねえか。と、鏡に言う。

 

昔友だちに、ラーメン屋で「自業自得」と言われたことを思い出す。確かにそうだ。誰のせいでもない。女が嫌ならやめればいい。奴隷が嫌なら戦えばいい。それを成し遂げるほどの、血が吹き出るほどの憧れがない。何もない。

 

自分の尻拭いをするために生活をしている。

ずっと車酔いをしているように気分が悪く、いつも背中が痛い。これもなにもかも自業自得だ。それでもまだ洗濯や炊事が出来るんだから、逞しい女だ。父方の祖母に似た。

土臭いごつごつした手と綺麗なんて言われたことのないような女。こき使われて家族を愛しているがさつで学のない女。僕は年中彼女の背中にしがみついていた。好きだ。

 

飼っている猫がもっと走り回れるような広い部屋に越そう。猫はひとつも悪くないんだから。

猫は訳もわからず拾われてうちに来たのだから、自業自得でないのだから、せめて猫だけにはなんの我慢もなく生活をさせてやりたい。

 

 

6/22

 

僕が高校一年生の時友だちだった沖野くんは、映画監督になるのが夢だった。

沖野くんは自分で脚本を書いていて、僕にいくつか読ませてくれた。中でも修司というキャラクターが出てくるものはいつも面白く、冗談しか言わない沖野くんが本当に話したいこと全部を修司が話していた。彼は実のところおしゃべりだった。

夏に2人で流星群を見に行った。思いの外綺麗だった。

「俺こういうの、いつか思い出したりすんのすごい嫌だわ」

と沖野くんは半笑いで言った。

なんか違うことやって上塗りしようぜ、と彼は近くの鉄塔に登り始め、地面から3メートルくらいまで登りズボンとパンツを脱いで「チンコ」と叫んだ。

そんな彼の後ろを大きな流れ星が通り過ぎ、僕は確かに、こんなにつまらないことで笑い合う時間を、いつか思い出したりしたくないと思った。

沖野くんは両親の離婚で転校してしまい、それから会っていない。お別れの挨拶も特になかった。沖野くんもあの日のことをこんな風に思い出したりするのだろうか。

 

 

神話の話

 

まず初めにつがいの肉食獣がいる。彼らは避妊をしないので数え切れないくらいの子どもがいるはずだが、どこを見渡しても彼らの子どもは一匹として見当たらない。どこかへ行ってしまったのか、死滅したのかはわからない。ただこの世界には彼らと同じ生き物は、彼ら二匹以外にいない。彼らは実に孤独な生き物で、お互いの肉を食べ合って生きている。

がらんどうの塔がある。中は空っぽだ。エスカレーターもないし、ラジカセもない。もちろん本の一冊もない。誰が作ったかは今のところわかっていない。コンラッドデンヴァーという耄碌した考古学者が言うには、それは火星人の交信装置であり、別の惑星からの信号を振動としてこの星に伝え、それを増幅させる役割を果たしているということだ。私は彼の説を支持してもいいと思っている。別にこの塔の存在理由は、なんだっていいからだ。

塔の周りには頑丈な塀があり、塀の内側にはそのがらんどうの塔しかない。塀にはかつて戦死した兵士たちの骨が練りこまれている。仕上げに生き血をかけたという噂もある。かなり物騒な話だ。しかもたった1人の人間が40年かけて作り上げたのだ。彼の名前は誰も知らないが、センスのない奴が彼をベルリンと呼んだので、みんなは長い間彼を便宜的にベルリンと呼んでいる。

私は森からやってくる狼を殺す仕事をしている。もう30年になる。狼はベルリンの暮らす小屋へもやってくるが、昔、私が新米だったころ、真夜中に狼が彼の小屋近くまでやって来たので、昼の間丹念に整備した銃で首尾よく撃ってやったことがある。銃声に驚いて勢いよく飛び出してきた彼が私を見つけて「静かにしろ、今何時だと思ってる!」と怒鳴ったので「狼に食い殺されてもいいのか」と尋ねたら、「なんのために塀の外で寝てると思ってんだ!」と怒鳴り返された。それからは彼の小屋に近づく狼を撃ったことがない。けれどベルリンは80歳を超えた今でも元気に塀の手入れをしている。

この世界にはもうひとつかかせない生き物がいる。汚い野ネズミだ。無遠慮で不潔な生き物だ。孤独な肉食獣が互いを食べ合っていると、滴る血を飲みにやってくる。もちろん私たちの可愛いキッチンにもやってくるし、旅の途中で死んだ渡り鳥の死肉にだって群がり、敬意のかけらもなく食い散らかす。しかしこの世界で彼らだけが、ベルリンの数少ない友だちではあるようだ。

私の妻は虫歯で死んだ。がらんどうの塔からそう遠くない小さな町で助産婦をやっていたが、「急に嫌になった」と言って今度は輸入菓子を売り始めた。家でもチョコレートのかかったレーズンばかり食べていたが、まさか虫歯で死ぬとは思わなかった。

私はこの世界から出たことはないが、狼が秋になると四方からこのがらんどうの塔の周りに食物を探しに来るということは、森の向こうにはおそらく何もないのだと思う。もしくはまたさらに誰かの作った塀が森の外側にあり、バームクーヘンのような構造を取っているのかもしれない。しかしそれは私には関係のないことだ。

私はただ、狼を殺し、ベルリンは野ネズミの齧った塀を修復し、つがいの肉食獣は互いの肉を食べ合っている。町では人々がささやかな暮らしを営み、がらんどうの塔は火星人にメッセージを伝え、塀はそれを守り続ける。ここはそういう世界だ。