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オーケー、ボーイズ&ガールズ

11/4.5

 

僕は描き終えた絵を捨てる習性がある。

どんなにうまく描けたってそうだ。作った曲のギターコードもすぐに忘れてしまう。僕にとってそれらはどうでもいいものだ。何度も言うけれど、僕には今日しかない。今日要らないものは明日も要らない。

 

だけど君は違うかもね。昔の僕を好きだった人たちも、もしかしたら消えていく僕を残念に思ってくれるかもしれないね。誰かが僕のために書いた何かはまるで別の人を語っているようで、他人事にしか思えないけれど。

 

僕が変わってしまってから友だちになった人たちのことはとても好きだな。それから、ずっと僕を好きでいてくれる人のことも。何かあげられたらいいけれど、僕にはここにいる僕しか持ってるものがない。僕自身がいいものであるように努めるべきだ。

 

昔のことは忘れたけれど、君たちのこと本当に好きだよ。

 

僕は鼻が曲がるほどの自信家だったけれど、だからなんだってできたしなんだって言えた。誰かを救うことだって出来ると信じてたし、愉快な気持ちにさせたり、必要な言葉を強く言ってやることだってできた。今できることは、何もない。僕はやはり、出来上がった僕を捨ててきたのだ。それが要らないので。

 

ところで、神保町へ行った時の話をしてもいいかな。

何年か前、卒業研究に必要な資料を集めるために研究生全員で神保町へ行った。みんな散り散りになったあと、僕はすぐに地下にある汚い喫茶店へ入った。悪趣味な青い外壁の、ロザリオという名前の店だった。席に着くと汚い前掛けの老婆がメニューを持ってきて、僕は何か飲み物を頼んだのだけど、彼女はナポリタンを持ってきた。なかなか美味かった。店は彼女と同じように年老いていて、誰かのお土産だろうか、こけしやペナントが埃だらけの古い冷蔵庫の上に置いてあった。黄ばんだサイン色紙を眺めていると、くるりのものがあった。上京してきてはじめてのライブが行われたのはこの店だったらしい。タートルネックの男の子が店に入ってきて、テーブルゲームを始めた。

翌年ロザリオは閉店した。いつか僕もそうなる。こけしやペナントを捨て、誰かの思い出をなくし、テーブルゲームを捨て、最後にそれを含む全部を捨てる。老婆はどこへ行ったろう。気に入っていたけど、仕方ないわね、なんて言って最後に空っぽになった店を眺めたろうか。彼女はロザリオに含まれるアイデンティティを、ロザリオがなくなった今も持ち続けているのだろうか。僕にはまるで想像できない。そこにあったはずの自分はもうここにはいないのに。描き終えた絵は、読み終えた物語は、完結した時間にしか存在しないのに。

 

 

11/4

 

引越しをすることになった。

この街には6年くらい住んだ。

 

僕が特に気に入っているのは、近所に暮らしている足の悪い老人と、太ったビーグル犬だ。

彼らはお互いを想い合って歩くのでとても遅い。

時々太ったビーグル犬が一人きりで散歩に出ている。いつもは嗅げない枯れた草の匂いやいつもは出来ない駆け足であちこち行っているのを見かける。

 

もう1人ボケ老人がいる。前のめりで、つま先を地面に擦るようにしてうろついている。彼の部屋は朝も夜も電気が付いていて、カーテンのない窓から古い時計や何枚も重ねて干してある洗濯物が見える。洗濯しているかどうかはわからないけど。昔は妻が居たんだろうか。彼も眠れないほど誰かに恋い焦がれたりしたんだろうか。サッカーボールを追いかけたり、お母さんに甘えたりしたんだろうか。想像がつかないな。それくらい彼って灰色の肌で目が虚で、すっかり老いてしまっている。

一度だけ真夜中にコンビニへ行った時、終バスのとっくに終わったバス停のベンチに、大きな荷物を抱えて座る彼を見た。

どこへ行くつもりだったんだろう。

あんなふうになっても、まだどこかへ行けると思うんだろうか。ここじゃないならどこでもいいと言ったって、それは旅に違いないんだから…

 

掃除をしていると、映画館のアルバイトを辞める時にみんなが書いてくれた色紙が出てきた。

僕はそれをまともに読んだことがなかったから、初めて読んだ。みんな僕のことを好きなようだったし、何かやってくれそうと思っているみたいだった。何か、日常的じゃない小さな興奮を僕に期待しているようだった。

その頃の僕は多分口が達者だったんだろうな。実際のところ僕はその頃も今も何もしていないし、自分に何か特別なことが出来るとは思えない。だからみんなの期待には応えられそうにないし、多分、たとえ応えられたって、彼らは彼らの生活に一生懸命になっていて、ああ、あの時の子?なんかやりそうな感じだったけど本当にやるとはなぁ!ねぇ来週飯でも行かない?鉄板焼き屋どう?服に匂いがつくだってそんなこと気にしなくたっていいよ、食ったら帰るだけなんだから…

 

静かで良い街だった。丘の一番高いところにあるアパートだから、夜景が綺麗だったけれど、僕は嫌味な感じがして心からは好きになれなかった。時々いいなって思うけど、高層マンションを見上げて一番上にはどんな人が住んでるんだろうと考える。やっぱり嫌味な奴だと思う。神様についてどう思うか聞いてみたいな。強く信じてるか、全く考えたことがないかの二択だと思うよ。ちなみに僕は神様のこと好きだよ。

 

猫がもう1匹飼えたなら、漱石は寂しくないな。広い部屋だから喧嘩したって平気だよ。

 

 

 

10/7

 

世界の終わりのあと、僕は電話ボックスにいる。

 

ウェルベックの『ある島の可能性』という本の一文なんだけど、かなりキレてる文章だと思う。さいこーにイカしてる。ヤバイよね。

いい歌書いてるシンガーとか、夜明けにそんな気分になったりするんだろうと思う。

 

先日僕は間抜けにも階段で転んで、頭を強く打ってしまって3針縫った。

頭を打ってしばらくうずくまっていたのだけど、その間僕は目の前にあるものや自分を認識できるかどうかばかり考えていた。

脳みその方はおそらく突然のダメージを処理することで精一杯だったようで、落ち着くまでに僕はこの世界でひとつも理解できることが無かった。

処理が追いついた頃、血というものが少し粘度のある液体だということに気がついた。思ったよりも濃厚な手触りだった。多分、フレンチレストランでスープとして出されたら、舌触りに感動するほどの代物だ。

 

それから病院へ行く間、僕はいつにも増して目に映るもの全てが疑わしかった。

目の捉えている物質のあらゆるものが嘘だ。僕たちに光が無ければ、それは無いものだ。目の見えない人にはどういう世界があるのか僕はまだ知らないけれど、少なくとも僕にはそうだ。あるいはそれらの全てがハリボテでも、目だけでは分からないかもしれない。

焦点を合わせて見つめても、その青い看板の文字がただの形でしか無い。僕たちは光の当たったものに意味をつけて、それを在るものとして生きているに過ぎない。そして在るものというのは僕たちの生を無条件で肯定する認識だ。

 

だから僕が死んだら、あとは何もない。目もなければ光もなく、脳もなくなってしまうんだから…

そして僕は病院で、自分の輪切りになった脳みその映像をコンピューターの画面で確認した。

それは最高にキュートだった。このおかしな形をした脂肪の中で様々な電気信号が行き来し、僕を僕たらしめている…身体だけあっても僕じゃないね、僕というものは、この脳みそに全てある。壊れちゃわなくて本当に良かった。

たとえば僕の可愛い脳みそが全部ダメになっても、君が僕を好きでいてくれるとしたら、それは脳みそが働いていた頃の僕の幻影を、身体に見ているに過ぎない。そして僕はそんな君を好きだと思えないなら無いも同じだと思う。

そんな時君は電話ボックスで、どこにつながるかも知れない、繋がっていないかもしれない受話器に向かって何か話したりするんだろう。

あー、えーっと、調子はどう?聞こえてるかな…

 

脳みその方は、思ったよりもシワが無かった。シワのある方が表面積が広いから処理速度が速いんだろうか?頭蓋骨にみっちり入っていた。可愛い脳みそ。僕の可愛い脳みそちゃん…

 

何年か前、夜に水頭症の男と話すのにハマっていたけれど、彼の脳みそは一体どうなっているんだろう。今思えば芸のないつまらない奴だったが、僕はその頃から脳みそに興味があったのでそれは面白い経験だった。彼もまた、世界の終わりでたまたま繋がる電話番号を見つけ、僕がいるかいないかも分からずに語り続けていたのだ。

その分、身体があるというのはいいね。僕を、正しくなくても認識して話しかけ、僕は相槌を打つことができる…触ったら居ることが分かる。触るまでは分からない時代が来るかも知れないけれど。

僕は頭を打って、少しだけ以前より目に見えるものが信じられなくなっただけで済んだ。本当に良かった。死んだらなんにもなくなってしまう。この可愛い脳みそも灰になってしまう。

いつか未来に、死んだ時のために若い身体のコピーを作っておいて、そこに以前の脳みそをぶち込むという延命方なんかが出来たらどんな世界になるかな、と考えて、そうだそれが『ある島の可能性』に書いてあったんだと思い出した。多分僕もずっと、受話器を離すことが出来ずにいるんだろうな。どんなに長く生きたってね。

 

 

8/7

 

最近は色んなことを色んな人がいるな、で済ませているのでどんどんバカになっている感じがする。バカになっているせいか、何を見ても面白いし、気に入らないことがあまりない。このままシンクの水垢や猫のクソにも感動できるようになりたい。

 

昨日見たテレビ番組で、夢の話をする女が嫌いという話があったのだけれど、僕は夢の話が大好きで色んな人に話してとせがんでいるし、時々みんなに話しているので、その中の誰かには、あるいは全員に嫌われているのだろうか。

存在してるものはいいよね、好きとか嫌いとかあるから。そういえばミヒャエル・エンデはてしない物語でも、主人公のバスチアンは名前をつける能力が彼を英雄たらしめたし、ナウシカ巨神兵にオーマと名付けたために彼は人格を持ったりした。そして僕は産む予定のない子どもの名前を何年も前から考え続けている。

我々にとって存在するものの全ては名前か、名前に相当するものをもってる。チーズとハチミツのピザはクワトロフォルマッジというらしいし、黒くてモヤモヤしたもの、とかウサギみたいな耳とか、夏の前の雨の匂いとか。名前のないやつでさえ必要があれば名前は与えられる。ジェーン・ドゥのように。

でも僕は割と球体幻想を間に受けているタチだから、眼球だけほじくり出して地面においてみたって、その目は何かを写していると考える。ただ僕らは去勢された目をかさぶたみたいな脳みそにひっつけて世の中のことを喋るしか出来ないから、名前というものが持つ価値を存在に与えることでしか認識できない。そして認識と言葉が世界を構築しているのは、人間である限り如何ともしがたい。陸に住むものが水の中で息ができないのと同じだ。そして存在のシグナルは真夜中の灯台のように、船が海へでなくても、音もなく光を投げ続けるものだ。つまり、眠れない女の子が窓からそれをみて安心するかもしれないし、近所に住む銀行員は遮光カーテンをびっちり締めきって恨み言を口にするかもしれない。だれかがなんかしらは言う。そして夢の話が好きな僕も、嫌われたりする。嫌われるのはふつうにいやだけど、それも僕という存在のシグナルだ。

 

この間伊藤くんがナショナリズムについて話していたけれど、国家に限った話でもない。あらゆるものは幻想だ。だから僕はサイバーパンクとかエスペラントとか人類補完計画とか好きなんだけれど、実はその中でもカフェオレが一番好きなんだ。だからなんというか、そもそもヴァーサスの関係をつくるような個々の強い意志そのものを僕は危険思想に感じるくらい、曖昧に生きてる。だって街中によく切れる刀が立ってたら腑抜けの僕なんかすぐ死ぬじゃん。しかも絶対的な正しさって、たとえばそれが僕にとって正しくても、暴力じみてる。激しい力で統率される。正しさを盾に怒りが許される。許された怒りで否定された人たちがまた怒る。おこりんぼ大陸。おこりんぼの星。原始的な宇宙人の住む、おこりんぼの星。アイデンティティがなんにせよ、確固たる意志があると必ず戦わなきゃならない。それ以外が認められない限りは。ブラックか、ミルクか、刀を持たない僕は斬られるのを待つか、刀と平行に歩くしかない。もちろん、刀を手に入れるという選択肢もあるけれど、そうなるとマグカップティースプーンで混ぜることが叶わない。僕はカフェオレが好きだけど、マグカップの底に溶け残った砂糖は嫌いだ。損した気分になる。だから甘いカフェオレを飲んでいる間は、演説の上手い方に乗ることにしている。騙されるなら良い物語の方がいい。晴れた春の昼過ぎみたいに寝ぼけた頭で、できれば生き抜いて死にたい。

エスペラントというバベルの塔建設は結局失敗してしまったけれど、神になりたがる我々の健気が、あるいは傲慢が、僕はとてもラブリーだと思う。言語統制された世界でもプロポーズやラジオのオープニングトークや悪口なんかは結局それぞれなんだろう。いや、だけど、第1世代はたとえば、「残された2つのグラスの跡」とか「木の隙間から溢れる光」とか「暗く静かな森に1人でいる感じ」をひとことで表す言葉がなくなることについてはヤキモキするだろうな。でもまあ人類は言語に優れた生き物だから新しい表現が生まれたりするんだろう。しかしこれも多分現実化するとなればブラックかミルクかになるのかな。管理されるために同じ言葉と思想を強制されるだけ。人類が神になれない大きな理由はユーモアが足りないからだと思うよマジで。

いやでもね、分けすぎとは思うよやっぱ。病名とかも。名前持ちすぎるとモーツァルトみたいになるよ。全部名前っぽいもん。ヨハンネス・クリュソストムス・ウォルフガングス・テオフィルス・モザルト。モザルトて。モーツァルトじゃねえのかよ。アマデウスは?それに比べてルート・ヴィッヒ・ヴァン・ヴェートーベン。ヴェートーベンがめっちゃ名前っぽいじゃん。ルート・ヴィッヒ・ヴァンがもう序章に過ぎない感じする。ホップステップ的な感じ。とにかく名前持ちすぎるとそれに自我を頼るようになる。囚人服を着続ければ警官に怯えるようになる。だけど、セーターだって寒けりゃ夏でも着るよ…僕には解き方が分からない問題ばっかなんだ。

黙ってカフェオレを飲むしかすることがない。ねぼけた僕は待ってる。シンクの水垢や猫のクソに感動しながら、もっと素晴らしい演説を期待している。選ぶのは僕だから君たちを責めない。できれば美しい並木に沿って刀を置いてくれ。上を見たまま歩けるから。

 

 

 

7/2

 

長い間土の中にいた僕らの友だちが初めて話す声を、今日僕は聞いたけど、それよりも1日早く僕たちは夏をやったので得意な気分になった。

 

昨日、友だちが運転する車の窓から夏に咲く花が見えた。僕が、好きな花だ、と言ったら二人は「タチアオイ?」と声を揃えて言った。僕はこんなに幸せなことがあるか?と考えた。

いつだってへどもどつかえながら話している。好きな友だちには、伝わらなくていいなんて思えない。欲深いだろうか。分からなくていいなんて思えない。でもいつも上手に伝えられない。

 

僕たちにとって特別な、素敵な女の子が一緒に青い車に乗っていて、「私って何者にもなれないで、誰かと結婚して、子どもを産んで、それだけの人生なんですよきっと…」と僕らに話す。僕たちは参る。君はもう誰ともまるで違うスペシャルな女の子なのに、そんなことを考えていたなんて!僕は前のSAでソフトクリームを食べたせいで腹を冷やし、夕立みたいに突然の便意に襲われた。運転してくれている友だちが速やかに次のSAへ車を滑らせ僕はこんなに大事な話の途中にもかかわらずトイレへ駆け込む羽目になった。僕が蒸し暑い個室で冷や汗をかいている間、みんなどんな言葉を彼女にかけたんだろう。ソフトクリームを食べた自分を責めながら彼女にかける言葉を探したけれど、水を流すレバーを探している間に全て忘れてしまった。車に戻ると話は終わっていた。彼女の着ていた水色のワンピースがとても似合っていることにその時気がついた。

 

クーラーの調子が悪く、車内がピザ窯くらい暑くなって汗だくになった。窓からポップコーンみたいな雲が見えるたびに、あれは入道雲?と伊藤くんに尋ね、伊藤くんは、あれは違う、まだ赤ちゃん、と言った。やはり夏はまだ来ていないんだ!

 

たくさんの人に一度に初めて会ったので、やはりへどもどしながら挨拶や自己紹介をした。僕は200円でピアスを買い、さっそく1つ無くしてしまった。水滴に紫陽花の雄しべが2つ落っこちているようなデザインだ。僕の耳には左しか穴が開いていないからちょうどよかった。7年前、意気地が無くて両方開けられなかったままだ。別に困らない。意気地なんか無くてもね。苦しみに耐えるために必要なのは幸福を強く夢見る能力だと先生は言った。

 

7年前くらい、僕は足の指にキラキラした青いペディキュアを塗るのが好きだったと思う。自分の足じゃないみたいだった。僕は今の自分じゃない自分に憧れていたのかもしれない。その時はまだ、鏡だってマトモに使えていた気がする。髪を梳かしたりリップを塗ったり。憧れがあるというのは、自分のいるところが分かっていい。

 

入道雲が僕らの首が痛くなるほど沸き立つワケを彼女は知っているだろうか。笑顔の素敵な彼女が眉をしかめて絞り出す言葉を僕らは分かろうとする。彼女は変わろうとする。僕たちは多分何度でも新しい君を分かろうする。僕たちはあのヘンテコな雲が馬鹿みたいに膨らんでいくことをこんなにも待ち望んでいる。何者でもない僕たちの夏は、いつでも前とは違うんだ。

 

 

6/12

 

また扁桃炎になってる。扁桃炎になる度僕は死ぬことを身近に感じて憂鬱になる。

最近、二枚の同じ皿の上にそれぞれ、石鹸とカシミヤの靴下を乗せてとやかく言うヤツが多過ぎる。そもそもどっちも食えない。どっちもグレープフルーツ風味の醤油ソースなんか合わない。馬鹿げてる。もしかして僕のこと騙そうとしてるの?冗談なのかな。石鹸はお風呂で身体を洗うときや、お母さんがクローゼットの香り付けにガーゼに包んで入れるもので、カシミヤの靴下はおばあちゃんが寝るときに履く。おんなじ皿に上げて、食おうなんてどうかしてるよ…。欲張りすぎるね、少し。

僕はアナナスパイが好きだ。暑くなったらもっと美味しい。もしかして、食べてみたら石鹸やカシミヤの靴下もうまいのか?そんなわけない。ダイエットにはいいかもしれないけど、どちらにしろ僕は扁桃炎だから、柔らかいうどん以外のものは食べられない。噛まなくて済む代わりに考えなくなる。考えないから僕はイラついてこんな嫌味を書く。それって、つまらないね…。

 

僕が扁桃腺を手術で取ることを考えていると話すと「凍らせて取るのよ、そしたら日帰りでいいんだから」と児玉さんは言う。椅子に座って口を開けるだけで、医者が扁桃腺を凍らせて壊死させてくれる。簡単な手術。そんなまさか、と僕が驚くと、もちろんその後は痛むけど、今はもう何ともないのよ、と言う。

 

もちろんその後は痛むけど、今はもう何ともないのよ。

 

いろんな青春映画を観たけれど、その終わりを象徴するのは新しい家庭だ。ワルかったアイツも嫁をもらって子どもがいる。あんなことがあったけれど結局今は別の幸せで上手くやっている。スタンドバイミーオチ。時々青春の中で死ぬ奴もいる。イカしてる。僕らは人生の一等瑞々しい時間を過ぎた。これからやってくるどんな素晴らしい幸福も、実はあの野蛮な興奮で肉体の限りを激発させる、エネルギーに満ち満ちた暴力的な魂の震えを感じることには勝らない。

我々はあの時死ななければ、それからずっと、凪を求め凪に暮らすのだ。そして言う。もちろんその後は痛むけど、今はもう何ともないのよ。

 

その後やって来た佐藤さんに、児玉さんが扁桃腺を壊死させた話をする。すると佐藤さんは、やっぱ子ども産むのが一番痛いらしいから、それ以外どうってことないのかもよ、母は強し、と言う。扁桃腺を凍らせて壊死させるよりも痛いことがあるなんて僕には信じられない。だって、白い斑点が出たらもうずっと息するのだって痛いんだよ。一日中泣いてたって飽きないくらいなんだ。やっぱ、そんな痛い思いして産んでもらったなら毎日ハッピーに生きた方がいいっすね、と佐藤さんに言うと、そうだよなー早くPS4買えよ、モンハンしよーぜ、と彼女は僕の肩を叩く。

 

僕は未だに青春の痛みが耐え難く、何度も線香を上げるが未だに経を読み終えない。漠然とその影をさまよう日もある。僕のその物語に含まれる彼女たちはとっくに結婚し子どももいる。スタンドバイミーオチ。僕らの思い出は可愛いお菓子の缶にきちんと収まっているんだろう。僕だけが、痛みに、痛みの意味も分からなくなった今も頭を抱えていると思うと、滑稽で気が滅入る。

 

 

 

 

 

 

5/22

 

僕は割り算が出来なかった。何度説明されてもまるで意味がわからなかった。特に「割られる数の中に割る数が何個くらい入るか」という予測が出来なかった。その文章の意味さえよくわからない。実際今もよくわからない。

そもそも1+1もわからなかった。でもそれはそういうものだとなんとか乗り切ったけれど、「割られる数」というものはそもそもすでに独立した数字なのだから他の数字で表すことがどうして出来るのか、僕にはわからなかった。

僕にとってそれは「メロンパンの中に消しゴムは何個あるでしょうか?」みたいな質問で、何もかもが間違っているし、そんなこと考える必要があるのかと不自由な思いをした。つまり、消しゴムを12個集めると、メロンパンになります。余ったところは梅干しにして置いておきます。

だけど、メロンパンが2個ずつ入った箱が2つあります。と言われたら、メロンパンは全部で4つだと分かる。4つのメロンパンを2つの箱に分けて入れるとなると、それは入れてみないと分からないという気持ちになる。

 

今でも数字は苦手だ。ライブの日にちをちゃんと覚えておけない。2日くらい前になるとようやく意味が分かる。僕の人生には前後2つの数字しか存在していないのかもしれない。数字の連続性に実感がない。どこかで入れ替わっていても分からないと思う。1.2.5.3.4.6。

9/1は弟の誕生日だと覚えている。弟が生まれた日だ。でも弟が生まれた日、というのは「くがつ ついたち」という日なのだろうか。「くがつ ついたち」が次に来るのはいつだろう?もちろん、八月が終わったら来るってことは分かっている。だけど検討がつかない。みんな本当は、カレンダーがない真っ暗な井戸の底で過ごしていたら「くがつ ついたち」のことなんて分からないんじゃないの?分かるの?どうして僕には分からないんだろう。

 

僕は生まれる形を間違ったのかもしれない。お前は本当は、虫とかエビチリとかスパナとかに生まれる予定だったと神様に告げられたら、ああーやっぱり!と安心すると思う。

 

僕にも分かることがいくつかある。「今の言葉は失敗だった」ってこととか。

僕は長く眠れない夜と付き合ってきたが、考えるのはいつもそのことだ。分かることだから余計に考える。

 

僕は小学校は皆勤賞だけれど、そろばんと性教育の授業だけは早退で受けていない。そのせいでぼくはみんなとズレてしまったと思っている。多分この世の中の地に足をつけて進むためにはそろばんと性教育が必要だったのだ。

 

「個」として生きることを選択する、それを美徳のように思うことは僕にも分かる。みんなちがってみんないい。そういう思想。だけどそんなこと言っておきながらそういう人たちは僕のことめちゃくちゃ正そうとして来る。それは違う、間違ってる。道路に落ちた飴を食うな。地下鉄で鼻歌を歌うな。魚肉ソーセージを食べながら歩いたらジロジロ見るぞ。爪を噛むな。言うことを聞け。聞かないと仲間はずれだぞ。なんだよ、結局自分勝手を許されたいからそんな理想を語ってるだけじゃないか。みんな嘘ついてるんだ。本当は、自分にとって都合のよい世の中がいいってだけなんだ。ほんとはみんな魚肉ソーセージ食べながら歩きたいくせに。自由なこと妬ましいんでしょ。僕も唾吐きながら歩くおじさんは嫌だよ。おんなじ気持ちだけどさ。

 

エスペラントで脳内イメージを言語化から映像化するサービスが開始されて、全てのスタバにそのインターフェースが配置されることになって、僕たちは自分の好きな時に自分の好きなイメージを、フラペチーノを飲みながら誰かの端末に残す事が出来るようになったらいいな。ポケベルみたいに…

そうしたら僕は圧倒的なハッピーだけを君に送るよ。

きっと僕たちはいずれ言語を捨てるんだよ。それがいつかは、2日前くらいにならなきゃわからないけど。

 

感情エネルギーを食べて生きてる、水星の地底のモグラ型宇宙人のこと知ってる?彼らが穴を掘るのは他の個体に会うためだけだよ。たまたま誰かに会えたらすごく喜ぶんだ。みんなそのエネルギーを共有して食べてる。そうしないと餓死しちゃうから。穴を掘ってる。ただ黙って穴を掘り、仲間に会い、抱き合って満腹になる。ぼくそんな生き物に生まれることができたらよかった。でもさ、こんなに喋ってるってことは、ほんとはそんなのやだって思ってるよ。言葉のこと好きだ。物語はもっと好きだ。割り切れないことも分かり合った気分になる。