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夏の前の雨の匂い

2/11

 

2010年、名古屋の山崎川にスナメリが迷い込んだというニュースをブラウン管のテレビで見た。その年は、タイで反政府デモの弾圧があり、国軍が参加者を銃で打ったり、尖閣諸島で中国船と日本の巡視船が衝突し大きな抗議のデモがあった。

 

僕はみんなが強く思うことを、同じ仲間と声を上げて訴える行為に憧れがあって、それがどんな気持ちのするものか分かりたかった。正直に言って、1960年という時代に強い興味があって、僕は僕がその時代に生まれていたならこんな風に部屋でシコシコ文字を書いたりしなかったと思ってる。00年代も僕はとても良い時代だと思っているけれど…

 

それはさておき、僕は2010年で一番のニュースは名古屋にスナメリが迷い込んだことだと思った。山崎川と、その後すぐに別の個体が新川に現れた。

今でも時々思い出す。なんとも言えない川の、小学生が海の絵を水彩絵の具で描いて、その筆を何度も洗ったバケツの水のような色の川に、つるんとして白いスナメリが不安なそぶりも見せずつるつる泳いでいる映像。あれサイコーだった。

自分でもどうしてそんなに興奮したのか分からないけれど、とにかくサイコーだった。テレビの向こうの、スナメリを見に来た小学生の子どもたちや水族館の人も多分同じ気持ちだったはずだ。面白くておかしくて不思議で、少し心配でみんながスナメリを見てる。僕はみんなが見ているものがスナメリであるということが嬉しかった。僕も僕がスナメリを見ていることが嬉しかった。スナメリは心なしかニヤニヤした顔でつるつる泳いで、何も言わずに消えてしまった。

 

そのあと一触即発、という感じの事件がいくつもあったから、僕たちはすっかりそっちが気になってしまってスナメリのことなど忘れてしまった。スナメリは僕らを殺したりしないし、僕らを弾圧したりしないからだ。

 

僕が1960年代に憧れているのは、あの時誰もが自分たちには世界を変える力があると信じていたからだ。自分たちひとりひとりの行動や言葉は、世界に直接働きかけるものだと信じられていた。もちろんそれに至るまでの経緯があった。あんな大きな国と互角に戦い、敗戦から20年足らずで東京オリンピックを開催するにまで至った、彼らは働き者で、絶望に身を任せることをせず、よりよく生きるために耐え、努力し、血と汗であらゆるものを再建した。その背中を見た育った子どもたちだからだ。

60年代の彼らは勉強熱心で、世界に自分たちが含まれていると感じることが出来ていた。

だから彼には理想があり、語るべきことがあり、やるべきことがあったのだ。

 

僕らが生まれた頃は、いろんなものが膨れ上がって、すっかり弾けたあとだった。だからあの時代に憧れても貶さないでほしい。だけど僕らも僕らなりのユートピアに生きてる。今だって本当に良い時代だ。なんたってスマートフォンがある。インターネットもある。ピザだってすぐ届く。

いつの時代も、どんな主義も、悪いところはあるけど、悪いところを語るのはあんまり得意じゃないから割愛する。

 

とにかくこの素敵な時代で僕が考えているのは、おしゃべりのことだ。僕はスナメリが消えたあとからずっと、おしゃべりについて考えている。僕は誰かと何かをわかり合うときには、それがスナメリのようなものであってほしいと願っている。分かるよ、でも、綺麗事に噛み付くような子どもじゃ、もうないんだと思う、僕たち。だけどスナメリだってずっとそこには居てくれない。だから僕たちは隣町のショッピングモールへ出かけたり、おんぼろの遊園地へ行ったりする。

きっと僕は、たぶん僕たちは本当は死ぬほど分かり合いたがってる。逆転サヨナラ満塁ホームランで贔屓のチームが勝って、隣の知らない人とがっちり抱き合ったりする時の気持ちが、何を救うか知ってる。

僕は、今の時代には今の時代のコミュニケーションの形があると思う。何がどう正しいなんて思わないけど、僕たちが孤独な理由を、誰かが正直に突き詰めて提示しなきゃならない。闇雲に喋ってるわけじゃないんだ、誰だって。真夜中に堪えきれず呟いた言葉にだって、朝には消えているけどそれなりの理由があるんでしょ。

缶切りがないから探してるんだ。カッターやペンチでなんとか開けてみようとしたりする。何が入ってるかなんかわかんないけど。開いたら話すよ。