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夏の前の雨の匂い

5/22

 

僕は割り算が出来なかった。何度説明されてもまるで意味がわからなかった。特に「割られる数の中に割る数が何個くらい入るか」という予測が出来なかった。その文章の意味さえよくわからない。実際今もよくわからない。

そもそも1+1もわからなかった。でもそれはそういうものだとなんとか乗り切ったけれど、「割られる数」というものはそもそもすでに独立した数字なのだから他の数字で表すことがどうして出来るのか、僕にはわからなかった。

僕にとってそれは「メロンパンの中に消しゴムは何個あるでしょうか?」みたいな質問で、何もかもが間違っているし、そんなこと考える必要があるのかと不自由な思いをした。つまり、消しゴムを12個集めると、メロンパンになります。余ったところは梅干しにして置いておきます。

だけど、メロンパンが2個ずつ入った箱が2つあります。と言われたら、メロンパンは全部で4つだと分かる。4つのメロンパンを2つの箱に分けて入れるとなると、それは入れてみないと分からないという気持ちになる。

 

今でも数字は苦手だ。ライブの日にちをちゃんと覚えておけない。2日くらい前になるとようやく意味が分かる。僕の人生には前後2つの数字しか存在していないのかもしれない。数字の連続性に実感がない。どこかで入れ替わっていても分からないと思う。1.2.5.3.4.6。

9/1は弟の誕生日だと覚えている。弟が生まれた日だ。でも弟が生まれた日、というのは「くがつ ついたち」という日なのだろうか。「くがつ ついたち」が次に来るのはいつだろう?もちろん、八月が終わったら来るってことは分かっている。だけど検討がつかない。みんな本当は、カレンダーがない真っ暗な井戸の底で過ごしていたら「くがつ ついたち」のことなんて分からないんじゃないの?分かるの?どうして僕には分からないんだろう。

 

僕は生まれる形を間違ったのかもしれない。お前は本当は、虫とかエビチリとかスパナとかに生まれる予定だったと神様に告げられたら、ああーやっぱり!と安心すると思う。

 

僕にも分かることがいくつかある。「今の言葉は失敗だった」ってこととか。

僕は長く眠れない夜と付き合ってきたが、考えるのはいつもそのことだ。分かることだから余計に考える。

 

僕は小学校は皆勤賞だけれど、そろばんと性教育の授業だけは早退で受けていない。そのせいでぼくはみんなとズレてしまったと思っている。多分この世の中の地に足をつけて進むためにはそろばんと性教育が必要だったのだ。

 

「個」として生きることを選択する、それを美徳のように思うことは僕にも分かる。みんなちがってみんないい。そういう思想。だけどそんなこと言っておきながらそういう人たちは僕のことめちゃくちゃ正そうとして来る。それは違う、間違ってる。道路に落ちた飴を食うな。地下鉄で鼻歌を歌うな。魚肉ソーセージを食べながら歩いたらジロジロ見るぞ。爪を噛むな。言うことを聞け。聞かないと仲間はずれだぞ。なんだよ、結局自分勝手を許されたいからそんな理想を語ってるだけじゃないか。みんな嘘ついてるんだ。本当は、自分にとって都合のよい世の中がいいってだけなんだ。ほんとはみんな魚肉ソーセージ食べながら歩きたいくせに。自由なこと妬ましいんでしょ。僕も唾吐きながら歩くおじさんは嫌だよ。おんなじ気持ちだけどさ。

 

エスペラントで脳内イメージを言語化から映像化するサービスが開始されて、全てのスタバにそのインターフェースが配置されることになって、僕たちは自分の好きな時に自分の好きなイメージを、フラペチーノを飲みながら誰かの端末に残す事が出来るようになったらいいな。ポケベルみたいに…

そうしたら僕は圧倒的なハッピーだけを君に送るよ。

きっと僕たちはいずれ言語を捨てるんだよ。それがいつかは、2日前くらいにならなきゃわからないけど。

 

感情エネルギーを食べて生きてる、水星の地底のモグラ型宇宙人のこと知ってる?彼らが穴を掘るのは他の個体に会うためだけだよ。たまたま誰かに会えたらすごく喜ぶんだ。みんなそのエネルギーを共有して食べてる。そうしないと餓死しちゃうから。穴を掘ってる。ただ黙って穴を掘り、仲間に会い、抱き合って満腹になる。ぼくそんな生き物に生まれることができたらよかった。でもさ、こんなに喋ってるってことは、わかるよね。ほんとはそんなのやだって思ってるよ。言葉のこと好きだ。物語はもっと好き。だって君と喋れるもん。