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オーケー、ボーイズ&ガールズ

8/7

 

最近は色んなことを色んな人がいるな、で済ませているのでどんどんバカになっている感じがする。バカになっているせいか、何を見ても面白いし、気に入らないことがあまりない。このままシンクの水垢や猫のクソにも感動できるようになりたい。

 

昨日見たテレビ番組で、夢の話をする女が嫌いという話があったのだけれど、僕は夢の話が大好きで色んな人に話してとせがんでいるし、時々みんなに話しているので、その中の誰かには、あるいは全員に嫌われているのだろうか。

存在してるものはいいよね、好きとか嫌いとかあるから。そういえばミヒャエル・エンデはてしない物語でも、主人公のバスチアンは名前をつける能力が彼を英雄たらしめたし、ナウシカ巨神兵にオーマと名付けたために彼は人格を持ったりした。そして僕は産む予定のない子どもの名前を何年も前から考え続けている。

我々にとって存在するものの全ては名前か、名前に相当するものをもってる。チーズとハチミツのピザはクワトロフォルマッジというらしいし、黒くてモヤモヤしたもの、とかウサギみたいな耳とか、夏の前の雨の匂いとか。名前のないやつでさえ必要があれば名前は与えられる。ジェーン・ドゥのように。

でも僕は割と球体幻想を間に受けているタチだから、眼球だけほじくり出して地面においてみたって、その目は何かを写していると考える。ただ僕らは去勢された目をかさぶたみたいな脳みそにひっつけて世の中のことを喋るしか出来ないから、名前というものが持つ価値を存在に与えることでしか認識できない。そして認識と言葉が世界を構築しているのは、人間である限り如何ともしがたい。陸に住むものが水の中で息ができないのと同じだ。そして存在のシグナルは真夜中の灯台のように、船が海へでなくても、音もなく光を投げ続けるものだ。つまり、眠れない女の子が窓からそれをみて安心するかもしれないし、近所に住む銀行員は遮光カーテンをびっちり締めきって恨み言を口にするかもしれない。だれかがなんかしらは言う。そして夢の話が好きな僕も、嫌われたりする。嫌われるのはふつうにいやだけど、それも僕という存在のシグナルだ。

 

この間伊藤くんがナショナリズムについて話していたけれど、国家に限った話でもない。あらゆるものは幻想だ。だから僕はサイバーパンクとかエスペラントとか人類補完計画とか好きなんだけれど、実はその中でもカフェオレが一番好きなんだ。だからなんというか、そもそもヴァーサスの関係をつくるような個々の強い意志そのものを僕は危険思想に感じるくらい、曖昧に生きてる。だって街中によく切れる刀が立ってたら腑抜けの僕なんかすぐ死ぬじゃん。しかも絶対的な正しさって、たとえばそれが僕にとって正しくても、暴力じみてる。激しい力で統率される。正しさを盾に怒りが許される。許された怒りで否定された人たちがまた怒る。おこりんぼ大陸。おこりんぼの星。原始的な宇宙人の住む、おこりんぼの星。アイデンティティがなんにせよ、確固たる意志があると必ず戦わなきゃならない。それ以外が認められない限りは。ブラックか、ミルクか、刀を持たない僕は斬られるのを待つか、刀と平行に歩くしかない。もちろん、刀を手に入れるという選択肢もあるけれど、そうなるとマグカップティースプーンで混ぜることが叶わない。僕はカフェオレが好きだけど、マグカップの底に溶け残った砂糖は嫌いだ。損した気分になる。だから甘いカフェオレを飲んでいる間は、演説の上手い方に乗ることにしている。騙されるなら良い物語の方がいい。晴れた春の昼過ぎみたいに寝ぼけた頭で、できれば生き抜いて死にたい。

エスペラントというバベルの塔建設は結局失敗してしまったけれど、神になりたがる我々の健気が、あるいは傲慢が、僕はとてもラブリーだと思う。言語統制された世界でもプロポーズやラジオのオープニングトークや悪口なんかは結局それぞれなんだろう。いや、だけど、第1世代はたとえば、「残された2つのグラスの跡」とか「木の隙間から溢れる光」とか「暗く静かな森に1人でいる感じ」をひとことで表す言葉がなくなることについてはヤキモキするだろうな。でもまあ人類は言語に優れた生き物だから新しい表現が生まれたりするんだろう。しかしこれも多分現実化するとなればブラックかミルクかになるのかな。管理されるために同じ言葉と思想を強制されるだけ。人類が神になれない大きな理由はユーモアが足りないからだと思うよマジで。

いやでもね、分けすぎとは思うよやっぱ。病名とかも。名前持ちすぎるとモーツァルトみたいになるよ。全部名前っぽいもん。ヨハンネス・クリュソストムス・ウォルフガングス・テオフィルス・モザルト。モザルトて。モーツァルトじゃねえのかよ。アマデウスは?それに比べてルート・ヴィッヒ・ヴァン・ヴェートーベン。ヴェートーベンがめっちゃ名前っぽいじゃん。ルート・ヴィッヒ・ヴァンがもう序章に過ぎない感じする。ホップステップ的な感じ。とにかく名前持ちすぎるとそれに自我を頼るようになる。囚人服を着続ければ警官に怯えるようになる。だけど、セーターだって寒けりゃ夏でも着るよ…僕には解き方が分からない問題ばっかなんだ。

黙ってカフェオレを飲むしかすることがない。ねぼけた僕は待ってる。シンクの水垢や猫のクソに感動しながら、もっと素晴らしい演説を期待している。選ぶのは僕だから君たちを責めない。できれば美しい並木に沿って刀を置いてくれ。上を見たまま歩けるから。