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オーケー、ボーイズ&ガールズ

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また、たとえばの話なんだけれど、この町に大きな脳みそがあって僕たちがその意思に身を委ねる選択をしたとしたら、まず始めにそれがひとつの自由な意思選択になる。それで完全な自己放棄、というのも僕の選択であり、完全でない自己放棄という選択をすることもできる。大きな脳みその意思に従う、というのはそれがなんであれ、僕の自由意思によってマゾヒズムを享受するに過ぎない。

大きな脳みそが突然、それまでの穏やかで意味ありげな行為に反して非道徳的なことを僕にさせようとするとき、僕はあるいはそれに気がつかないかもしれない。それは盲信とか心酔の働きによってではなく、結果的にナルシズムによるものかもしれない。僕には、その大きな脳みそのせいにできるほど自分を欺く器用さがない。僕は僕を裏切り者にしたくないあまり、何も聞こえない耳を頼るのだ。

たとえばこの川の先には必ず海があると教えられ、川に飛び込んだナメクジかなんかが、濁流に飲まれ岩にぶつかりながらその旅をやめないなら、それはナメクジの意思であり、海に辿り着きその塩で溶けた時ナメクジは、本当にその旅路が彼の為にあったと彼が信じるなら、「海がしょっぱいなんて聞いてない!死んじまう!」なんて怒ったりしないんだ。「なるほど、これが海か」と口の中で呟きながら溶けてくわけなんだ。そういう心づもりをして、僕は信じられるものの全てを信じている。