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オーケー、ボーイズ&ガールズ

10/7

 

世界の終わりのあと、僕は電話ボックスにいる。

 

ウェルベックの『ある島の可能性』という本の一文なんだけど、かなりキレてる文章だと思う。さいこーにイカしてる。ヤバイよね。

いい歌書いてるシンガーとか、夜明けにそんな気分になったりするんだろうと思う。

 

先日僕は間抜けにも階段で転んで、頭を強く打ってしまって3針縫った。

頭を打ってしばらくうずくまっていたのだけど、その間僕は目の前にあるものや自分を認識できるかどうかばかり考えていた。

脳みその方はおそらく突然のダメージを処理することで精一杯だったようで、落ち着くまでに僕はこの世界でひとつも理解できることが無かった。

処理が追いついた頃、血というものが少し粘度のある液体だということに気がついた。思ったよりも濃厚な手触りだった。多分、フレンチレストランでスープとして出されたら、舌触りに感動するほどの代物だ。

 

それから病院へ行く間、僕はいつにも増して目に映るもの全てが疑わしかった。

目の捉えている物質のあらゆるものが嘘だ。僕たちに光が無ければ、それは無いものだ。目の見えない人にはどういう世界があるのか僕はまだ知らないけれど、少なくとも僕にはそうだ。あるいはそれらの全てがハリボテでも、目だけでは分からないかもしれない。

焦点を合わせて見つめても、その青い看板の文字がただの形でしか無い。僕たちは光の当たったものに意味をつけて、それを在るものとして生きているに過ぎない。そして在るものというのは僕たちの生を無条件で肯定する認識だ。

 

だから僕が死んだら、あとは何もない。目もなければ光もなく、脳もなくなってしまうんだから…

そして僕は病院で、自分の輪切りになった脳みその映像をコンピューターの画面で確認した。

それは最高にキュートだった。このおかしな形をした脂肪の中で様々な電気信号が行き来し、僕を僕たらしめている…身体だけあっても僕じゃないね、僕というものは、この脳みそに全てある。壊れちゃわなくて本当に良かった。

たとえば僕の可愛い脳みそが全部ダメになっても、君が僕を好きでいてくれるとしたら、それは脳みそが働いていた頃の僕の幻影を、身体に見ているに過ぎない。そして僕はそんな君を好きだと思えないなら無いも同じだと思う。

そんな時君は電話ボックスで、どこにつながるかも知れない、繋がっていないかもしれない受話器に向かって何か話したりするんだろう。

あー、えーっと、調子はどう?聞こえてるかな…

 

脳みその方は、思ったよりもシワが無かった。シワのある方が表面積が広いから処理速度が速いんだろうか?頭蓋骨にみっちり入っていた。可愛い脳みそ。僕の可愛い脳みそちゃん…

 

何年か前、夜に水頭症の男と話すのにハマっていたけれど、彼の脳みそは一体どうなっているんだろう。今思えば芸のないつまらない奴だったが、僕はその頃から脳みそに興味があったのでそれは面白い経験だった。彼もまた、世界の終わりでたまたま繋がる電話番号を見つけ、僕がいるかいないかも分からずに語り続けていたのだ。

その分、身体があるというのはいいね。僕を、正しくなくても認識して話しかけ、僕は相槌を打つことができる…触ったら居ることが分かる。触るまでは分からない時代が来るかも知れないけれど。

僕は頭を打って、少しだけ以前より目に見えるものが信じられなくなっただけで済んだ。本当に良かった。死んだらなんにもなくなってしまう。この可愛い脳みそも灰になってしまう。

いつか未来に、死んだ時のために若い身体のコピーを作っておいて、そこに以前の脳みそをぶち込むという延命方なんかが出来たらどんな世界になるかな、と考えて、そうだそれが『ある島の可能性』に書いてあったんだと思い出した。多分僕もずっと、受話器を離すことが出来ずにいるんだろうな。どんなに長く生きたってね。