ae.ao

オーケー、ボーイズ&ガールズ

2/23

 

痛み続ける心には喜びが、乾いた土に星の涙が、死に損ないには無垢な優しさ、地下牢の月明かり、嫌われ者のアザミは産毛に夜露をたたえて、バスタブいっぱいの虚しさに肩まで浸かった我々をまるで祝福するようじゃないか。

君の足の、潰れたような平たい親指の爪の形、僕は好きだな。

僕は知っている。美しさにだけは、この世の中で唯一意味がある。他のものは全部、クソって名前で構わない。クソのことは忘れろ。くだらねえから。君の全てが美しいわけじゃないが、君の美しさを僕は感じることが出来る。馬鹿には分からないことだ。そうだ、僕は木偶の坊なだけで馬鹿じゃない。信じていい。

ウサギは絵画や哲学に、豹はリズムや太陽に、僕は君にそれがあると思っている。そして僕自身にもおそらくそれはあるだろう。

流す血があるうちに、静かに戦いを続けよう。静かに。正直なところ、戦いにかまけて波の音も聞こえないんじゃ、ねぼけた豚とおんなじ。君は豚じゃない。僕には豚語が分からないが君の話すことは少しなら分かる。

 

枯れ井戸を見つけた。まさか本当にあるとは思わなかった。僕は毎日昼の12時過ぎに枯れ井戸を見に行く。腐りかけの木の蓋がしてある。中がどうなっているのか、どれだけ深いのかは知らない。もしかしたら枯れていないかもしれない。もしかしたらこの町でこの井戸のことを知っているのは僕だけかもしれない。井戸の周りはシンとしている。一つ向こうの通りでは人の往来があるのに、ここにはなぜだか人も来ない。トタン屋根に猫がいる。擦り切れたサッカーボールのような猫だ。井戸を眺める僕を、屋根からずっと眺めている。多分猫も、何かに眺められているのだろう。たとえば腹を空かせたカラスだとか、年中かまぼこをカバンに入れて猫にやってる縮れた白毛のババアとか。

とにかく井戸の周りは静かだ。君をここに連れて来たい。僕はなんどもそう思ったが、怖いので出来ない。それに君は別に井戸なんか見たくないだろう。君に限らず、井戸を見たいやつなんかいるか?

 

僕はその後人のアパートの屋上で好きな音楽を聴く。目を閉じても明るい。明るくて暖かくて嫌な音が一つもしない。古い障子紙のような色の中で不愉快な音が一つもない音楽を聴く。もちろん井戸のことを考えながら。

 

血を流せば頭は少し冴える。元気はなくなるけれど。腹が減れば頭はやはりクリアになる。元気はなくなるけれどね。そうしてやっと乾いた土は夜露を吸うようになる。笑えるくらいささやかな星の涙で潤った土も、すぐに草木に吸いあげられ太陽に焼かれカラカラに乾く。変わるのは草の背丈だけ。あとはいたちごっこ

 

僕は考える。君の心の前で井戸を眺めている。ここは僕だけの場所と思うが、やはりトタン屋根から猫は見ている。猫は井戸の中を知っているだろうか?忌み嫌われるアザミの棘には夜露がよく留まり、それが月を映しているのは美しいと思わないか?僕は思うよ。僕には井戸の中を覗くことが出来ない。多分物理的に無理だ。僕はその前でただ美しいと思うだけの木偶の坊だ。美しいことにだけは意味がある。美しいことは主観的で直感的でいい。それが持つ意味が必ず正解で正解だと僕は思っている。なんども実験もした。どんな物語であれ、それが想像でもね。美しさの意味って分かる?尺度だよ。君や僕の。それを辿ったら何があると思う?

 

昔祖父と川へ行った。葦のような草がそこかしこに茂った浅くて広い川だ。竪琴を持った妖精なんかが今にも出て来そうな、静かで優しい森の中にあるひらけた川。家畜が冬を越すために必要な草を祖父が刈る間、僕は魚のように泳いだ。トラクターいっぱいに草を積んで、その上でグレープ味のぬるいファンタを飲みながら、後ろ向きに帰った。遠ざかる森は麗しい川を覆い隠すように緑の密度を増して、そのうちにすっかりアスファルトの道へ出て、山と我々は別の世界になった。苅たての草と水の匂いは土と埃と日曜日の匂いへ変わり、僕は夢でもみた気分になった。不思議なことにその時、いつか僕は素敵な人に出会えるだろうと思った。とても良い気分だった。

 

ないことなんてないだろう。いるんだから。あるものはあるし。僕は見てるよ。他の誰も知らなくても。トタン屋根の猫も。

君の枯れ井戸に光あれ。