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オーケー、ボーイズ&ガールズ

5/3 草の戸

 

僕は僕の町を離れるときは必ず、あたかも最初からそこになどいなかったかのように、静かに、散歩にでも行くような気持ちで出て行く。この町を出て行くときもそうした。実際なんの気持ちも沸かない。僕はどこにいても僕であり続け、僕のいない町も変わり続ける。変わり続けるというは新しくなったり、朽ちていったり、色々なんだけれど。それでもやはりこれといって特別な気持ちは沸かない。

 

そして新しい町で生活をし、昔のことをすぐに忘れる。けれどオアシスのセカンドアルバムを聴いたらやはり君の住んでいた虹色のアパートを思い出すし、フィッシュマンズのPOKKA POKKAを聴くとバーでのバイトの帰り道を思い出す。とくになんでもない、覚えていないと思っていたことまで思い出す。ケツのはみ出るくらいスキニーパンツがキツかったことや、白くてベルトが水色のお気に入りのサンダルのこと、君が買ってくれた良いヘッドフォンがすぐに壊れたこと。

 

それから今日、生まれた町を出て初めて暮らした狭い、壁の薄いアパートから通いつめた喫茶店まで歩いてみたら、驚くほど忘れたはずのことを思い出した。忘れたはずだ。確かに、そんなこと覚えてるはずないくらい些細なことだ。いつくも思い出した。思い出したからといって胸が苦しくなったり、後悔したりはしないけれど、僕はとにかく自分が覚えていることが嬉しかった。

 

後ろに道はない。僕の世界は今出来て、現在にしか存在しない。ずっとそう。思い出もそう。今出来た偽物。そんなものはもうないんだから。

 

例の壁の薄い、風呂の狭いアパートは窓が開いていて、白いレースのカーテンが揺れていた。

ほらみたことか。もうない。過去はなく、現在だけがある。趣味のいいカーテンだ。まるで、草の戸に住み変わった雛の家じゃないか。

 

僕は信じてないことが多い。記憶は嘘つきだ。文字もただの記号。数字もまやかし。良いことがあったかもしれないし、まるでなかったかもしれない。

昨日発見した。小沢健二のライナーノーツの録画を見ていて僕は思った。言葉なら信じてもいい。どうして気づかなかったんだろう。そしてメロディも。

僕にはその2つだけ、はっきりと真偽を見分けることができる。僕のものさしでだけって話だけどね。

それを頼りに僕は虚飾のない記憶を呼び起こすことを叶えたんだ。なんてすばらしいことだろう。そうか、これがみんなの言う永遠か。宇宙がシャッターを切る瞬間か。独立した時間軸か。君たちが音楽にこだわるわけがわかった気がした。それはいつでも独立した連続性のある符号だ。それが嘘になる日が来ても、あの時点では本当。あの時点の本当。

 

僕の草の戸にはいくつもの音楽がひしめき合っている。それらにはいくつもの生活の断片が混じり合っている。こんな確かなものが今もそばにあるなんてね…

 

僕の虚飾だらけのすばらしい思い出の中にひとつに、ミッシェルガンエレファントの上野さんと同じテーブルで酒を飲んだということがある。そのとき上野さんは僕たちにどんな音楽を聴くか尋ねて、僕はフィッシュマンズと答えた。そしたら彼は目を丸くして、へー、佐藤さん、ボーカルのね、彼俺の先輩。部室に行くといっつもいたんだよ、あ、上野くんって。と言った。

あ、佐藤伸治って本当にいたんだ。誰かの先輩で、どこかの大学の汚い部室で、僕らと同じように鳴りの悪い置きっ放しのギターで鼻歌歌ったりしてたんだ。確かにいたんだ…

多分佐藤伸治も上野さんも通ったその部室も、今はもう誰かのものだ。もしかして、レースのカーテンが付いてるかもしれない。けれど僕の中には彼らの本当が、僕の本当と結びついて、今はもうない時間を鮮明に見せてくれる。それで僕は、それを確かだと思う。