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オーケー、ボーイズ&ガールズ

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本当に話したいことなんてもうないのかもしれないと思う。みんなそうなのかもしれない。自分が本当に話したいことがあるような気がして、それが何かわからないから他愛のないことを話しまくって、なんだか足りないような気がして、また別の友だちを捕まえて、また他愛のない話を繰り返しているのかもしれない。

 

去年の夏に僕は灰原くんと出会う。絵が上手くて、髪が長くて、目がとても悪い男の子だ。さらに猫背で痩せている。3つで99円のふやけたうどんに醤油をかけて食っていると言う。魅力的だ。ナイロンの大きめなアウターを着ている女の子たち全員が彼を気にいると思った。灰原くんはそれだけじゃない。灰原くんはヴェイパーウェーブを好む。さらに僕が好きなマイナーなインディーズゲームも好きだった。もっと素晴らしいことに、僕以外誰も観ていないんじゃないかと思っていたアニメや変な漫画も彼は全部知っていて、気に入っていた。僕たちは絵を描きながら時々話した。難しい作業の時はお互いの好きな曲を流して合って黙っていた。彼の選曲はいつも良かった。音楽の趣味がとても合った。ある日話の途中で灰原くんはひどい頭痛になった。今日はもうおしゃべりはよそう。横になって休んだほうがいい。またね。それ以降僕たちは一度も話していない。多分もう一生話すことはないだろう。こんなに趣味の合う人にはこの先出会わないだろうと思う。それなのに僕たちは、本当のことをひとつも話さずに一夏をやり過ごしてしまった。

本当のこと?

灰原くんはいつか大きな犬を飼いたいを言っていた。それは嘘じゃないと思う。大きな犬を飼って、大きな犬と川を眺めてのんびり過ごしたい。それがもし嘘でも、そんな嘘をつく必要がないけど、この世界の何にも干渉しない。無意味で無力な嘘だ。だけどそれが本当でも、僕は灰原くんの何を知ることができるって言うの?

ヨコハマ買い出し紀行良いですよ、読んでくださいよ。アニメもいいんですよ。VHSしか持ってないんですけど…

男の子ですからねそりゃ僕も…機会があったらエッチなことはしたいですね。でも絵を描いてたほうが楽しいですよ多分。女の子って時々難しいじゃないですか。

友だちはいますよ。いなそうでしょ。でもいるんですよ。みんな割と趣味合うんですよ。こんな穏やかには喋れませんけどね。関西人なので。え?そうなんですね。そういうコミュニティが分かりやすくあればいいんですけどね…

僕の何を、一体、そんな気に入ってるんですか?

 

僕が灰原くんについてこうして話すことができるのは、灰原くんがすでに僕の過去になっているからだ。僕はもう死んだ人たちの話や歌が好きだ。変わりようがないから。明日になって、あれはやっぱり勘違いだった、全部嘘でした、なんてひどい茶番になりようがないから。もしどこかで灰原くんと邂逅を果たすことがあれば、僕はまた新しい友だちとして彼を迎え入れようと思う。とにかく僕と良く気の合う男の子と暑くない夏の話はもう紙に刷られて綺麗に閉じられている。

 

閉じた本を再び開くのには、目的が必要だ。大掃除の際なんかに、たまたま手に取った本を読み耽ってしまう時にも、何かを思い出したいだとか、よく分からなかったことが分かりたいとか、そういう目的がどこかにはあるはずだ。懐かしく思いたいとか。

そういえばカニの漫画、あれほんと嫌だったなぁ

僕が考えていたのは、僕にとっての対話がこの閉じた本を再び開くまで行われないという問題だ。僕は、今灰原くんのことを思い出していて彼についてよく分かったことがある。僕たちはとても気が合った。おしゃべりの熱量も時間も言葉選びも。だからこんなふうに気の抜けたさよならを許容する。すれ違いざまに肩をぶつけて、優しく謝っただけだ。僕は薬局に歯磨き粉を買いにくい途中で、灰原くんは修理に出した自転車を取りに行く途中だった。どちらも暑さに参って日陰を選んで歩いていたから、ぶつかったというだけ。

じゃあ、僕はこの先、こんなふうに気の合う人と出会ったらまた気の抜けたさようならをして、気の抜けた葬式があって、気の抜けた火葬場で灰になって、誰も彼もから忘れ去られるんだ。どんなに熱心に頼りない言葉をたぐって胸の内を伝えたって…

逆にね、生きてる間の伝達が、それを「生きている」と呼ぶにふさわしい程の比重で人間の活動になっているとしたら、僕の性質はそれからとても離れた場所にある。いや、待てよ。僕は伝達に対して非常に熱心だ。熱心過ぎる。欺きたくないがために厳密に言葉を考えて選ぶものだから、結果的に言語による伝達が困難になっているのかもしれない。

でも今そうまでして伝えたいことがないような気がする。推敲したはずの伝えたかった事柄はなぜか出涸らしになっている。出涸らしを眺める。これが?僕が君に伝えたかったことなのか?

多分そうなんだ。