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足を組んだ形のセクシーな大根がニュースに取り上げられたりして、それをそれたらしめる2つの要因が予知能力のある私を私たらしめる、同じ構造だと思った。
伝達ミスはそれによって意図的に引き起こされているのかもしれない。もしくは伝達に欠陥を持つものにそれが与えられるのかもしれない。
私は垣間見えるすべての未来に私がいないことを気に病んでいる。どこかでうっかり死んでしまうのだろうか。与えられた役割に優劣はないとしてもまるで平等じゃないように思える。
あなたは福島県の小さい駅に降り立って踏切の反対側で青いポロシャツの男を見つける。それだけのために生み出された。けれどそこに至るまでに4度の失恋と1度の骨折、大学院を出て今の会社に勤める必要がある。その後だってとても美しい人生だ。
でも君はもう少し苦しい思いを長いことやって、幾人かに賞賛される。これはすごいものですと認められる。そのために生まれた。それが出来たら他はなにをやってもいい。反対に好きなようにやってもそれをやることになる。そういう仕組みにできている。
失敗の方は難しい。役割は意図的に失敗することと本人によって挫折せざるを得ないこともある。役割は悲しいことに、その多くは代替可能だ。でも君は、今回の君で成し遂げる。何年かはわからないけど月は知ってる。
足を組んだ大根を観測する人間にセクシーという概念がなければそれは成立しない。大根はただ生えただけ。別の意味が付与されただけの同じ性質のもの。観測してる人が与えた新しい認識。
私は私に努めて成った。このふるまいがふさわしい。なにに?
慣れたから大丈夫なんだけど、考えることが追いつかないと気持ち悪くならない?言葉も出てこないから怒られちゃう。