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オーケー、ボーイズ&ガールズ

11/20 花に嵐の花

 

僕の中にある確固たる美しさが、全ての邪魔をする。人間活動のあらゆる面で邪魔をする。美しさは完全完璧であるべきだ。そうじゃなくちゃ、美しくない。不完全なものは完璧な不完全をもっていなければならない。不安定なものは不安定なまま、儚いものは必ず危うく、いずれ消えなければならない。

伝達は、僕の持つたくさんの言葉の最適を、言葉以前の状態を保った順序で表現されなければならない。たとえば、罪はシナモンロールの味がする、ではなく、シナモンロールは罪の味である、という具合に。

 

そして僕は誰かと対峙するときあまりに完璧でありたがるせいで何度も失敗をする。家に帰り、言葉を何度もすげ替え、並び替え、ようやくこう伝えるべきだったと額縁にそれを収める。そしてそれを脳の内側の白い壁に飾り、たったひとりで長い時間眺める。もうその話は終わってしまったのだ。意味のない画廊がただ伸びていく。僕の人間活動の大体が、そういう不毛な結果で終わっている。

 

君はこの日記を読んでいるだろうか。

 

僕は16か17の頃、出来心でB2の鉛筆を買った。鉛筆画を描くのは楽しかった。何枚も描いて、描き終えたものはベッドの下に放っていた。そのまま18になって家を出た。しばらくして実家に帰ると、僕の描いたアフリカゾウの鉛筆画が額に入れて飾ってあった。こうしてみると足の形がイマイチだった。気分が悪かった。

この絵はベッドの下にあるべきだった。壁になどに飾られてはいけなかったのだ。大人になった僕がそれの埃を払って、微笑ましく眺めるべき絵だった。

 

そうあるべき、が僕にはあるのだ。それがそうあったとき僕はナイス!と思うのだ。

これから作られるあらゆる音楽や絵や僕は、すでに美しさという正しさをもって僕の中にあるはずだ。多分君もそう。もちろん僕にはそれを今ここで形にする技量や体力や気持ちがない。努力に耐性がない。そして努力について払うべき代償を持っていない。たとえば時間、たとえば憧れ、そんなことよりアニメ見てたい。

 

ところで、美しさには絶対的な正当性があり、何者にも犯されない、あなたにしか入り得ない神聖な祭壇だ。そこであなたが信じるあらゆる美しさは神と同等の権利を持っている。あなたにとっては。僕にとってもそれはそう。

だからそこが損なわれたり汚れるのは、尊厳に関わる問題だ。しかしながら僕は人間活動をして、社会に適応して生きるほかない。

つまるところ、僕は象の足が描かれた部分だけちぎって燃やし続ける。これが僕と社会お互いの許しうる最小限の妥協だ。そんなふうに熱心にすり合わせていたら、僕の祭壇はずいぶん安っぽくなった。とはいえ、母のファンタジックな英才教育のもと建設された僕の祭壇は壮大過ぎたので、これはこれでいちょうど良いかもしれない。君の祭壇は神聖なままなのだろうか。僕は弱い。卑怯で臆病でナルシストで鼻が曲がりそうだ。

 

 

関係ないけれど、雨の日君を迎えにいく夜の魚は黄色だ。花は咲こうとするけれど、明日は嵐が隣町からありったけの美しい花びらを運んでくる。僕の町の花は咲いたのか散ったのかわからないまま君はまた魚を待つだろう。残念だけれど次の魚は何色か分からない。けれどまた、完璧な日常の美しさをそつなく纏っていることでしょう。きっと来るよ。僕は信じている。そしてまた僕らの完璧な美しさが咲く前に、知らない町から強い風が吹いてくる。画廊がのびる。君は魚を待つ。僕はまた咲かずに散る花を愛でる。美しい花びらで祭壇を飾る。そういう、不毛な結果を積み重ねて、僕はまたあなたたちと完璧を夢見て対峙する。