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オーケー、ボーイズ&ガールズ

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駅前の、廃墟になって久しい、かつてデパートだった建物の西口に、段ボールと新聞紙が1人の人間の生活の形に落ち着いている。

僕もこんな素敵な廃墟の一角に住みたい。

黄色のハイヒールに黒いベレー帽の女が、ライムのコロンとくるみボタンのコートが、ラルフローレンのカーディガンとポマードが、自分達の価値を確認するために、もしくは誇示するために何度も訪れた場所だった。

もちろん野良犬は入れない。

入ることが出来るのは、人間だけだ。

 

止まったままのエスカレーターを登る。どの階にも何も無い。蛍光灯さえ取り外されている。暗くて寒い。喉の奥だけが熱い。腿の筋肉が震える。

最上階は催事場だ。仕切りもなくマネキンもいない。太い柱だけが無骨に残されている。彼らがいなければこの建物は潰れてしまうので、仕方なく残されている。最も必要だから存在しているのに、誰にも認識されず、認識されても疎まれる。ああここに柱がなかったならもっと奥行きのある陳列ができるのに。この柱のせいで床のタイルを切断しなきゃならない。せっかくギャッベを吊るしたのに入り口から見えないじゃないか。ミュシャのポスターでも貼りましょうか?よせ、気にしてるのがバレる。

 

今ここにあるのは空の鉢植えと壊れたスピーカーだけのようだ。買い手がなかったんだろう。いらなくなったものの中にいらなくなったものがある。ここを必要としているのは西口の彼だけになった。どうかな、彼もここに含まれてるのかもしれない。今のところ僕も。

 

トゥーランドット誰も寝てはならぬが頭の中に流れる。小さくハミングする。こんな静寂には本来緊張があるはずなのに。ここはあまりにも、諦めと慣れた終わりが染み込み過ぎて、僕たちは自由になってしまう。大声で歌ったっていい。踊ってもいい。咎めるものはない。だけど本当の充足は水槽の大きさで既に決まってるものなんだ。ハミングより大きな声で歌う必要なんてない。ここがムーラン・ルージュなら踵を頭の上まで蹴り上げて踊るよ。でもここは死んだデパートだ。僕がそう決めたんじゃない。事実そうなだけ。

 

僕たち。僕と、西口の彼と、柱の裏の誰か。声をかけてもいい。かけなくてもいい。答えなくてもいい。静かに編み物をするには丁度いい場所だ。風もないから千ピースのパズルをやるにもいい。

靴紐が解けてると彼女が言う。女の子だ。僕はお礼を言って靴紐を結び直す。どういうわけか彼女からはこちらが見えているらしい。もしかして小さい鏡を持っているのかもしれない。女の子は何度もリップを塗り直さないといけないから。

 

ここから出るためにはまたあの長い、止まったエスカレーターを今度は降りなければならない。億劫だ。喧騒が恋しくなるまでここに居ようかな。でももしこの先ずっと喧騒が恋しくならなかったら?

ここには30階建のオフィスビルが出来るよ、あなたは嫌でも出てかなきゃならない

そんな勝手な

 

結局長いエスカレーターを一段ずつ降る。何もないショーケースと何もない部屋を何度も通り過ぎる。

西口の彼がワンカップを煽るのを見る。

そこ住みやすそうですね

「馬鹿にしてんのか?お前。さっさとどっか行け」

 

ここが綺麗な30階建のオフィスビルになったら、この死んだデパートはどこにいくんだろう。そもそも黄色のハイヒールもライムのコロンもラルフローレンのカーディガンもどこへ行ったんだろう。西口の彼と彼女はどこへ行くつもりなんだろう。

僕は?どっかっていうのは、どこ?タヒチ

とにかく、靴紐も結び直したし、歩くしかない。どこかで飯も食べたいし。野良猫、野良猫が居そうな方へ行こうかな。スナメリも見たいし、海へ行ってもいい。