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オーケー、ボーイズ&ガールズ

11/4.5

 

僕は描き終えた絵を捨てる習性がある。

どんなにうまく描けたってそうだ。作った曲のギターコードもすぐに忘れてしまう。僕にとってそれらはどうでもいいものだ。何度も言うけれど、僕には今日しかない。今日要らないものは明日も要らない。

 

だけど君は違うかもね。昔の僕を好きだった人たちも、もしかしたら消えていく僕を残念に思ってくれるかもしれないね。誰かが僕のために書いた何かはまるで別の人を語っているようで、他人事にしか思えないけれど。

 

僕が変わってしまってから友だちになった人たちのことはとても好きだな。それから、ずっと僕を好きでいてくれる人のことも。何かあげられたらいいけれど、僕にはここにいる僕しか持ってるものがない。僕自身がいいものであるように努めるべきだ。

 

昔のことは忘れたけれど、君たちのこと本当に好きだよ。

 

僕は鼻が曲がるほどの自信家だったけれど、だからなんだってできたしなんだって言えた。誰かを救うことだって出来ると信じてたし、愉快な気持ちにさせたり、必要な言葉を強く言ってやることだってできた。今できることは、何もない。僕はやはり、出来上がった僕を捨ててきたのだ。それが要らないので。

 

ところで、神保町へ行った時の話をしてもいいかな。

何年か前、卒業研究に必要な資料を集めるために研究生全員で神保町へ行った。みんな散り散りになったあと、僕はすぐに地下にある汚い喫茶店へ入った。悪趣味な青い外壁の、ロザリオという名前の店だった。席に着くと汚い前掛けの老婆がメニューを持ってきて、僕は何か飲み物を頼んだのだけど、彼女はナポリタンを持ってきた。なかなか美味かった。店は彼女と同じように年老いていて、誰かのお土産だろうか、こけしやペナントが埃だらけの古い冷蔵庫の上に置いてあった。黄ばんだサイン色紙を眺めていると、くるりのものがあった。上京してきてはじめてのライブが行われたのはこの店だったらしい。タートルネックの男の子が店に入ってきて、テーブルゲームを始めた。

翌年ロザリオは閉店した。いつか僕もそうなる。こけしやペナントを捨て、誰かの思い出をなくし、テーブルゲームを捨て、最後にそれを含む全部を捨てる。老婆はどこへ行ったろう。気に入っていたけど、仕方ないわね、なんて言って最後に空っぽになった店を眺めたろうか。彼女はロザリオに含まれるアイデンティティを、ロザリオがなくなった今も持ち続けているのだろうか。僕にはまるで想像できない。そこにあったはずの自分はもうここにはいないのに。描き終えた絵は、読み終えた物語は、完結した時間にしか存在しないのに。