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オーケー、ボーイズ&ガールズ

凪の生活

(3/6)

当たり前に眠れない。明日はどうせ今日の続きに過ぎないのに。いつだって。何も劇的に変わらないのに。僕は僕のまま、時間が過ぎていくだけなのに。

中学生の頃、伊坂幸太郎の陽気なギャングシリーズを読んでからずっと喫茶店の店長になりたいと思っていた。進路希望調査のプリントを母親に見せて、喫茶店の店長になるためにはどうしたらいいかと尋ねると、まずは公務員になるのだと言われ、公務員になるためには国立大学へ行くのがよい、と教えてくれた。担任に国立大学へ行きたいと伝えると、君は教師に向いているから教育学部を目指すように言われ、またそうした。君は素質がある。少し賢いし、何より素直で吸収が速い。きっとよい教師になれる…

さすが大人はなんでも知ってる。宇宙人の好きなガムの味もきっと知ってるんだろうな。

大学へ進学した僕は自分が自分の思うより全く力のない人間であると自覚し、駄目になる。駄目になったら人間は、とことん駄目になる。深夜3時から台湾の恋愛ドラマが放送される。見たくもないのに全部見た。あのドラマなんてったっけな。ヒロインの女の子がピンクパンサーが好きだったんだよ。なかなかうまくいかなくてさ、2人とも。

夜中の3時に眠れないってことは、いくら自業自得といったって、とにかくかわいそうなことなんだ。起きている誰かがいなくちゃ不安で頭がおかしくなるよ。たとえそれがテレビでも、冗談を言ってくれるやつがひとりもいなかったら、本当に悲しくて怖くて、とてもじゃないけどやりきれない。きっとあのドラマを作った人たちはそんなつもりじゃなかったろうけど、僕にとってあの真夜中のくだらないラブコメディは、地下室の蝋燭くらい心強いものだった。

同い年の子たちはみんな上手に社会に出て行った。僕は見たことがある、と思った。小学生の頃、理科の時間にビデオで見た。魚の卵が孵る映像。カメラは殻を破ってスイッと泳ぎ出る稚魚を追ったけれど、フレームの端にずっと、殻からうまく出られない稚魚が映っていた。殻が変形するくらい強く押してみても、外へ出て行けない。あの稚魚はあのまま死んでしまうのかもしれないと思うと、苦しい気持ちがした。

そのあとに偶然、裏庭の屑木のなかにカブトムシのサナギを見つけた。上が少し裂けていたからきっともうじき成虫が出てくるのだろうと思って、破れた皮を引っ張ってやった。あの稚魚のようには絶対になってほしくなかった。もちろん、サナギから出てきたカブトムシはグロテスクな形で死んでしまった。それが恐ろしくて、その晩は眠れなかった。罪の意識もあった。懺悔した。けれどそれ以上に、窪んでしまった腹や折れたままのツノがムカムカするほど不愉快でおぞましく、恐ろしかったことを覚えている。

他の稚魚たちからはだいぶ遅れをとったが、駄目な僕も川に放たれた。しかし川は広かった。泳ぐ力も弱かった。そのまま淀みに流れ着いてただぐるぐる回った。今もそうだ。

ぐるぐる回っているうちにすっかりツノが取れてしまった。奇しくもあのカブトムシと一緒だ。流れる川が怖くなってしまった。でも別にいい。

勝ち取ったものは大学の席が最後だ。あとは何もない。より良い僕になるために、やってくる毎日をやっていくだけだ。目の前に養分を含んだ砂がなくなれば少しずつ移動する、海底の貝のように。

月というものがあるらしい、友だちは月を見るために遠くへ行ったが、僕はいつかの干潮を時々思い出しては、生きているうちに月を見ることができる機会もあるかもしれないな、と思うにとどまる。

穏やかなトライアンドエラーと風のよく入る大きい窓、暖かくなる風。枯れていくミント。言葉を喋りだす姉の子ども。掃除機の排気の匂い。鳥の声。昼寝する猫のいびき。かわいい部屋。いい。このままずっとこうでいい。いつか偶然月が見れたらいい。見れなかったならそれはそれでいい。